こんにちは、タムジーです。
今回は、かわいいアイドル歌手から、バラエティータレントに転身された松本明子さんをご紹介します。若い頃から現在も、可愛らしさも変わらず大活躍されていますね。
この記事では、あの放送禁止用語事件の事や、デビュー曲、学歴、家族(父、母、兄弟)など結婚まで、松本明子さんの若い頃の活動を中心に詳しくご紹介していきます。
ぜひ、最後までお付き合いくださいね!
松本明子 若い頃・プロフィール、年齢、学歴、父、母、兄弟は?
それではプロフィールからご紹介します。
松本明子プロフィール:
生年月日・1966年4月8日
出生名・平井 明子(ひらい あきこ)
出身地・香川県高松市
学歴・高松市立屋島中学校卒業・堀越高等学校卒業
身長・154cm
血液型・A型
年齢・2023年8月現在57歳
松本明子さんの家族構成は、父、母、10歳違いの兄がいます。幼い頃は、ピアノや日本舞踊などを習い、母は宝塚歌劇団に憧れを持ち、娘に夢を託すかの様に、たくさんの習い事をさせていました。
父親は公務員でしたが、民間企業へ転職されています。お酒と歌好きな父親は、松本明子さんを連れて、スナックなどを良くはしごしており、そのスナックのカラオケで、山口百恵さんの曲や石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」などの演歌を歌い、スナックのママさんの勧めで、のど自慢大会などにも出演するようになっていきました。
テレビっ子だった松本明子さんは、中学時代の人気アイドル・松田聖子さんに憧れ、自分もアイドルになりたいと思う様になりました。
当時のアイドル達は東京の堀越高校・芸能コースへ通っている方が多く、芸能界への思い入れが強かった松本明子さんは私もと思い、高校受験で堀越高校の普通科を受験、合格されています。
父親は芸能界入りを目指す事に反対されましたが、母親の助言もあり入学を許可されました。松本明子さんのアイドルへの強い思いが通じたのですね。
松本明子 若い頃・「スター誕生!」からアイドル歌手デビュー、キャッチフレーズは?
堀越高校への入学が決まり、アイドル歌手を志して単身上京、東京の父方の親戚宅に下宿しながら、オーディションに応募しましたが、落選する日々が続きました。
そんなある日、当時の人気オーディション番組「スター誕生!」の厳しい予選を突破、第44回決戦大会へ出場される事になったのです。
決戦大会では、松田聖子さんの「~オレンジの香り~Summer Beach」と言う曲を歌うと、1社「渡辺プロダクション」からの指名が上がり見事合格!
また同日決戦大会では、後の人気アイドル・本田美奈子さん、シンガーソングライターの徳永英明さんも出場されていましたが、指名されず不合格となっています。
そして1983年5月21日、「♂×♀×Kiss」(オス・メス・キッス)で歌手デビューされています。当時のキャッチフレーズは「アッコ、とんがってるね」です。
念願のデビューを果たすと、高校2年の時期にこちらも念願だった堀越高校・芸能コースへ編入。お住まいも、親戚宅から渡辺プロの寮で暮らし始めました。
ところが、デビュー曲の「♂・♀・kiss」は、オリコン最高位131位にとどまり、その後8枚のシングルを残すもヒットに恵まれず、歌手としては不発でした。やっと念願の歌手になったのですが、その時の気持ちを思うと胸が痛みますね。
高校ではクラスメイトが仕事で欠席されている中、仕事が暇だった松本明子さんは、学級委員を務め皆勤賞を受賞されています。当時はそれだけ仕事がなかったのですね。
スーパーでのアルバイトをしながらアイドル活動を続け、高校の先生からは、大学の進学を勧められていましたが、その天性のタレント性を活かし、後にバラエティータレントとして大活躍されています。
松本明子 若い頃・放送禁止用語事件とは?歌手からバラエティーへ転身、中山秀征との出会いは?
1984年4月1日の深夜番組「オールナイトフジ」フジテレビ系列・「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」ニッポン放送との合同スペシャル番組の生放送中での出来事でした。
レギュラー出演していた松本明子さんは、「ボーイフレンドの名前をばらされたくなかったら、放送禁止用語の4文字を言え」と片岡鶴太郎さんと、笑福亭鶴光さんの悪ノリに乗せられてしまい、ついカメラの前で放送禁止用語を言ってしまったと後の取材で明かしています。
この事は翌日、新聞にも掲載されてしまい大問題となった事件です。その後松本さんは、約2年もの間仕事がなくなり、今後の芸能生活に悩みを抱えて辛い日々を過ごしていたそうです。
そんな時に知り合ったナベプロの後輩でタレントの中山秀征さんとの出会いで人生が変わっていきます。
中山秀征さんは当時、お笑いコンビ「ABブラザース」として人気があり、現在でも芸能界でご活躍されていますね。
芸能界で、交友関係を広く持っている中山秀征さんは、松本明子さんのバラエティーへの素質を見抜いたのか「歌手班から僕のいるバラエティ班に来ないか?」と松本さんを誘っています。
その事がきっかけとなり、バラエティタレントを目指す様になりました。
当時の渡辺プロは歌手班、ドラマ班、バラエティ班に分かれていたと雑誌の取材などで話されています。
放送禁止用語事件後、活動停止を解除されると徐々にバラエティ番組への出演が多くなっていきました。その後は人気バラドルとして大活躍されていますね。
松本明子 若い頃・「進め!電波少年」で大ブレイク、映画出演は?
松本明子さんは、1989年代に「ものまね王座決定戦」フジテレビに出演。2回の優勝を果たし、松居直美、しじみとさざえ、斉藤ルミ子さんと共に「ものまね女四天王」と呼ばれ人気を獲得しました。
その後「進め!電波少年」日本テレビ系列のMCに抜擢されています。この番組は、1992年7月5日~1998年1月1日まで放送されたバラエティ番組です。
松本明子さんがMCに選ばれたきっかけは、フジテレビの「ものまね王座決定戦」で、松村邦洋さんとのトークの絡みが面白いと日本テレビの方が感じ「進め!電波少年」のMCに2人とも起用されました。
スタジオではセットなど使用せず、2人の顔以外はCGアートを使用、顔が面白く伸びたり、破裂するなど当時は他番組ではない手法で人気となった。
番組では、突撃取材・アポなし・ヒッチハイクなどが行われ、特に思い出に残る企画では、やはりお笑いコンビ・猿岩石の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」ではないでしょうか?
猿岩石(有吉弘行、森脇和成)さんの体を張った、ヒッチハイクしながらの貧乏旅行は人気を博し、社会現象まで巻き起こしました。
ヒッチハイクの旅の他にも、「懸賞生活」「アポなしロケ」など体当たり企画で、最高視聴率30.4パーセントを記録しています。
他にも「オレたちひょうきん族」「スターどっきり㊙報告」「ケンカの花道」「メレンゲの気持ち」「TVチャンピオン」など多数出演し人気を博しました。懐かしいバラエティー番組が勢ぞろいですね。
映画にも6本に出演されていて、1985年には伊丹十三さんの監督された「タンポポ」や、1996年には「スーパーの女」にも出演、ご活躍されています。
松本明子 若い頃・結婚、旦那との馴れ初め、子供は?旦那の兄弟は?再婚は?
松本明子さんは、1998年代にご結婚されています。旦那さんは俳優の本宮泰風さんですね。
2人の馴れ初めは、本宮泰風さんの兄・俳優の原田龍二さんとの共演ドラマの撮影時に、たまたま弟の本宮泰風さんをロケ現場に連れてきた事がきっかけとなり、交際が始まりました。
その撮影終了後、3人でお茶をした時に原田龍二さんは直ぐに帰ってしまい、本宮さんとの話の流れで、松本さん宅でご両親とご飯を食べ、次は本宮さんが「うちにも来ます?」と言うことで、本宮さんのご実家へも行ったのです。その時の様子は、
「ご飯食べて、カラオケやっちゃって、大騒ぎ」
引用:日刊スポーツ
だそうです。
また、お互いの両親が結婚するので連れてきたと勘違いされ、交際が始まる前に、両親の紹介も終わってしまいました。
きっと、お茶をした時から話が合ったのでしょう、こう言うのを運命の出会いと言うのでしょうね。約2年の交際期間でご結婚されました。
その後子宝にも恵まれ、男の子を出産されています。既に成人されており、名前は「龍聖」さんとわかりました。
また、検索キーワードで「再婚」とありますが、現在も夫婦円満な生活をされているため、再婚はありませんね。
「松本明子さんの現在」の記事は下記リンクからお入りくださいませ。
松本明子 現在ダイエット中!「お神セブン」、キャンピングカーレンタルは?結婚、旦那、義兄、義姉は?
本日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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