林寛子 旦那 黒澤久雄との離婚原因は?長女は松岡充(SOPHIA)と結婚?若い頃に君スタデビュー!

女性歌手

こんにちは、タムジーです。

今回は1970年代から80年代にかけて一世を風靡した、アイドル・林寛子さんを
紹介したいと思います。林さんといえば、デビュー曲「ほほえみ」「素敵なラブリーボーイ」が大ヒットし、たちまち人気アイドルになりましたね。

本当にそよ風みたいな感じで可愛かった林寛子さん、彼女が現在どうしているのかも、ファンなら気になりますよね。そこで今回は、彼女の若い頃、結婚、旦那、子供の事なども含め、ご紹介したいと思います。

是非最後まで、お付き合いくださませ。




林寛子 プロフィール、家族構成は?小学生の頃は天才子役?

それでは、プロフィールからご紹介します。

プロフィール
名前:林寛子(はやしひろこ)
生年月日:1959年10月16日
出身地:東京都大田区
学歴:堀越高等学校卒業
血液型:B型
所属:株式会社モモアンドグレープス
年齢:2025年1月現在65歳

林さんは、東京都大田区出身で、現在65歳です。林さんの家族構成は、両親と6歳年上の姉、本人の4人家族になります。両親は愛知県出身で、母方の実家は名古屋で宮大工をしていました。地元では有名な大工屋さんだったそうです。

林さんは、子どもの頃から活発でかわいい女の子でした。そのルックスもあってか、父は早めに彼女を芸能界に入れたがったそうです。その頃のことを、林さんは次のように語っています。

父がそういうのが好きだったみたいで、何かの応募チラシを見て、4歳の時に「劇団日本児童」に入れられたんですよ。それでお稽古をしながらオーディションに通うみたいな。当時は面接っていう言い方をしていましたけどね。

引用:Asagei plus

そうなんです、林さんは4歳で劇団に入り、7歳のときには大ヒット映画「あこがれ」で内藤洋子さんの少女時代を演じるなどめざましい活躍を見せたのでした。他にもドラマ等にも出演し、いわゆる「天才子役」として、名を馳せたのです。


林寛子 子供の頃は「いじめ」にあっていた?

こうして、天才子役として知名度を獲得した、林さん。しかし、光の裏には陰がつきもの。林さんも例外ではありませんでした。

小学校時代、いじめにあったのです。その当時の想いを、林さんは公式ブログで以下のように綴っています。

「からかわれたり、いじめられたり、ランドセルを隠されたりあの頃はいじめなんて言葉がなかったから」

引用:Ameba 林寛子のブログ

こんな思いを抱きながら、学校と芸能活動を両立していた、林さん。当然、限界が近づいていました。13歳のときに父に「芸能界を辞めたい。」と相談したのです。

父の返事は、「<君こそスターだ!>のオーディションを受けて、落選したら辞めてもいい。」というものでした。

果たして、その結果は…。


林寛子 オーディション番組「君こそスターだ!」(君スタ)に出演合格「ほほえみ」でデビュー!

1973年、林さんは芸能界への進退を賭けて、フジテレビの「君こそスターだ!」(君スタ)のオーディションに挑みました。結果は、見事に合格。

第1回のグランドチャンピオンを獲得し、歌手への道を切り開いたのです。待望のデビューは1974年3月25日。曲は「ほほえみ」です。

この曲は、オーディション審査員の鈴木邦彦が作曲を手がけた、ノスタルジックな昭和歌謡曲となっています。林さんの雰囲気と絶妙にマッチングしていて、オリコン最高33位と最高の滑り出しを見せたのでした。


林寛子 「素敵なラブリーボーイ」が大ヒット!トップアイドルへ

林さんは、徐々にイメージ戦略として「積極的な女の子」を売り出していきました。その努力が実を結んだのが1975年。6枚目のシングル「素敵なラブリーボーイ」でした。

作詞は千家和也さん、作曲は穂口雄右さんで、この2人は昭和歌謡のゴールデンコンビでした。何を隠そう、往年の名曲、キャンディーズの「年下の男の子」も手掛けている2人です。

歌詞中の「ヘイヘイ、キスキスミー」という歌詞は、林さんのイメージを、より積極的な女の子に導きました。売り上げも、オリコン最高31位と自身最大のヒット曲となったのです。この頃の林さんは、各局のテレビに引っ張りだこで多忙を極めていました。

当時のことを、林さんは次のように振り返っています。

「素敵なラブリーボーイ」が大ヒットして…、CMは年間13本。国内外のロケも多く、レコーディングやラジオ局回りと多忙でした…。

引用:NEWSポストセブン

その努力の甲斐あり、林さんは一気に国民的トップアイドルに上り詰めたのです。


林寛子 結婚、離婚原因は?娘(長女)の旦那は松岡充!

積極的な女の子のブランディングを確立した、林さん。実生活でも積極的な女の子だったのでしょうか?果たして、林さんの恋模様は…。

結論から言いますと「結婚と離婚」共に経験しています。

林さんが結婚したのは1980年で相手は、黒澤久雄さんでした。そうです。ここでピンときた人もいるでしょう。黒澤久雄さんは、あの映画界の巨匠・黒澤明の息子さんです。

林さんは周囲に祝福と驚きを与え、黒澤ファミリーの一員となったのでした。しかし、多忙を極める2人。すれ違いの生活と価値観の違いから離婚された様ですね。

子供も一男二女に恵まれましたが、幸福な時間は長くは続かず、次女が成人された事をきっかけとして、2003年に離婚され、静かに結婚生活に終止符を打ったのでした。

ちなみに長女は元女優の黒澤優さん、旦那さんは歌手の松岡充(SOPHIA)ですね。
次女は元歌手の黒澤萌さんです。


林寛子 元旦那・黒澤久雄はどんな人?

黒澤久雄さんは、1966年の大学在学中に、フォークバンド「ブロード・サイド・フォー」を結成。同年9月にシングル「若者たち」をリリース。
「君のゆく道は~」で始まるこの曲は、同名ドラマの主題歌となり30万枚を売り上げ大ヒットしました。ところが、同年秋に黒澤さんの留学により、解散してしまいました。

「若者たち」は1970年以降、小・中学校の音楽の教科書にも掲載されているため、
知る人が多いフォークソングですね。又、ソロ歌手として1968年から1975年までの間に、シングル5枚、アルバム1枚をリリースしています。

その後は、タレント・DJとして活躍、現在は映画プロデューサー、黒澤プロダクション・黒澤フィルムスタジオ代表取締役社長。黒澤明文化振興財団理事長など
ほかに実業家としても、都内で飲食店経営など幅広く活躍されています。

また黒澤久雄さんは、黒澤プロダクションに勤務されている秘書と再婚されました。


林寛子 現在「ラブリー寛寛」のママ!他にも積極的に活動中!

現在、林さんは様々なジャンルで活動中です。

〇カラオケサロン「ラブリー寛寛」の経営
林さんは東京都内でカラオケサロン「ラブリー寛寛」を経営しています。
2007年にオープンしたこのサロンでは、毎日2回のミニライブを行っており、
店のお客さんと積極的に交流を楽しんでいるそうです。
また、このサロンは昭和歌謡が楽しめる場所となっていて、
多くのファンが集う場所としても有名です。
一刻も早く林さんに会いたい人は、サロンに行くことをおすすめします☆

出典:ⅹ・林寛子@lovely_kankan

・大田区雪が谷大塚 カラオケサロン「ラブリー寛寛」昭和歌謡 ミニライブ開催中(火〜金)

〇YouTubeチャンネル「Snow Valley」
林さんはYouTubeチャンネル「Snow Valley」を運営しています。
最近は更新頻度が減っていますが、
チャンネルでは様々なヒット曲や配信の切り抜きなどがあり
楽しい内容となっています。
ぜひ、ファンの人はチャンネル登録をしてくださいね☆

〇各種メディアへの出演
林さんはバラエティ番組やラジオ番組に出演中です。
特に、毎週月曜日夜10時に放送されている「林寛子のラブリーアイランド」では、
さまざまなゲストを迎えて幅広いトピックについて語り合っています。
ファンなら必聴ですよ☆

・八王子FM・林寛子の「ラブリーアイランド」毎週月曜日夜10時放送 (再放送火曜日14時)

今後も林さんは、音楽やバラエティ番組、ラジオ、カラオケサロンと多岐にわたって活動することでしょう。林さんは、いつまでも<積極的な女の子>なのです。

素敵なラブリーボーイを誘惑するかのような、あの歌声。いつまでも、そよ風みたいな彼女を応援していきたいと思います。

本日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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