伊藤咲子若い頃から今現在 生い立ち、結婚、闘病、離婚は?スター誕生秘話は?ひまわり娘とは?木枯らしの二人、ヒット曲は?歌唱力は?同期デビューは誰?

女性歌手

こんにちは、タムジーです。

みなさんは、伊藤咲子さんを知っていますか?
もちろん知っている方も多いと思います。

中には、
・伊藤咲子?
・昔、歌手をやっていた人?
・若い頃にスター誕生で有名になったんだっけ?

という人もいるかと思います。

そこで今回は、伊藤咲子さんのデビューから、現在までを詳しく紹介していきたいと思います!!

この記事を最後まで読んで頂くと、彼女の魅力やヒット曲などを知ることができますので、
どうぞ最後までお付き合い下さいね!!




伊藤咲子若い頃から現在・生い立ちは?スター誕生応募のきっかけは?

それでは、プロフィールからご紹介します。

プロフィール:
生年月日・1958年4月2日
出生名・伊藤咲子
出生地・東京都目黒区
学歴・堀越高等学校卒業
年齢・2023年12月現在65歳
愛称・サッコ
事務所・ミュージック・オフィス合田

ご両親は、山形で知り合いご結婚され、東京へ転居されてから咲子さんが誕生しています。

中学時代は、学校のトイレでライブ活動をされていたとか、授業の合間のほんの5分間、友達がトイレに集まってくれて歌を聞いてくれていました。

友人にも恵まれた伊藤さん、歌も上手かったのですね。そんな中学時代を過ごされ、高校は堀越高校卒業しています。

華々しい昭和の歌謡界。
伊藤咲子さんがデビューのきっかけをつかんだのは、当時の人気番組「スター誕生」がきっかけでした。

スタ誕で、森昌子デビューの放送を友達とみていた時に、友達が「この子、私たちと同じ年で歌手なんだよ」
「サッコちゃんならできるから応募しなよ」と言われ応募したのがきっかけでした。


伊藤咲子若い頃から現在・スター誕生秘話は?デビューから一気にトップアイドルへ、歌唱力は?同期デビューは誰?

1973年の第5回大会で優勝した時は、若干15歳でした。

スター誕生!では、小柳ルミ子さんの「漁火恋唄」を歌いましたが落選。「当日の参加者が粒ぞろいだった」と落選者に再度、予選参加の声が上がりました。

他の落選者は諦めたのか、翌週の予選に現れたのは伊藤咲子さんだけ。朱里エイコさんの「見捨てられた子のように」を歌うと、見事予選を突破しています。

決戦大会では、すでに4人が合格していたため諦めかけていましたが、伊藤咲子さんの番では、スカウトマンのプラカードが立て続けに上がり号泣してしまったというエピソードがあります。

まさしく彗星のごとく現れたスーパーアイドルに業界は騒然としました。勢いをそのままに、翌1974年には「ひまわりの娘」でデビューし、日本歌謡大賞新人賞を受賞します。

当時の思い出を聞かれた伊藤咲子さんは、次のようにコメントしています。

デビュー曲の「ひまわり娘」は全身黄色の衣装でした。世間に覚えてもらうために、常にその格好で移動していました。

帽子やハイソックス、靴まで全て黄色ずくめで恥ずかしかったと話されています。

アイドルというのは、いつの時代でも売れるための苦労話があるものなのですね。

またデビューする際に、スター誕生!で芸名を公募したところ、

スタ誕の先輩である「花の中三トリオ」森昌子・山口百恵・桜田淳子さんからそれぞれ1字ずつ取った「森山 桜」と言う案もあったと、司会の萩本欽一さんんから紹介されています。

その後は、「木枯しの二人」「乙女のワルツ」「きみ可愛いね」とヒット曲を連発します。

伊藤咲子さんは、天真爛漫なキャラクターと卓越した歌唱力が持ち味。そのアイドル離れした歌のうまさ、声のビブラートを備え歌う姿はほんとに素晴らしいです。

伊藤咲子さんの歌唱力を活かした曲は、日本歌謡大賞を受賞したり、「NHK紅白歌合戦」に初出場したりするなど、一気にお茶の間の人気者になりました。

ちなみにですが、伊藤咲子さんと同期で1974年デビューは、

相本久美子、太田裕美、木之内みどり、林寛子、故 松本ちえこさんがいましたね。ほんと、懐かしいです。

次に歌手活動停止や結婚、闘病、離婚などについてご紹介していきます。




伊藤咲子若い頃から現在・歌手活動停止、結婚、闘病、離婚

ヒット曲を連発していた伊藤咲子さんでしたが、1989年に突然の歌手活動休止を発表します。理由は「結婚」でした。

お相手は、友人と参加したゴルフコンペで知り合った実業家の男性です。結婚後は、芸能界の喧騒から離れ、何不自由のない幸せな生活を送っていました。

しかし、結婚から数年が経ち、子宮腺筋腫と急性腎盂炎という病にかかり、闘病生活を余儀なくされます。

当時の闘病生活を振り返り、伊藤咲子さんは、

「医者からは子宮の全摘出を言われていましたが、決断がつきませんでした。

女性として子宮を失うことへの抵抗がありました。激痛を抑えるために一日3回薬を飲んで耐えました。それがもう何年も続いていましたね…。」

 引用:スポニチ

そして、長く辛い闘病生活が原因で、夫との間には修復不可能な大きな溝ができてしまいました。

2004年には「離婚」を決意。(※現在は別の男性と再婚)

失意の病床で願ったことは、「もう一度、コンサートで歌いたい。」でした。

次は再出発からコンサートの事などご紹介します。


伊藤咲子若い頃から現在・再出発~コンサート~

手術が成功し、退院後の伊藤咲子さんは精力的にTV出演やコンサート活動を行い、歌手活動を再開させます。

元々、歌唱力には定評があったため、続々と「夏祭りにっぽんの歌」や 「NHK思い出のメロディー」、「年忘れにっぽんの歌」などのオファーが舞い込み滑り出しは順調でした。

コンサートでも東日本大震災のチャリティーコンサートなどに出演し、往年の輝きを完全に取り戻します。

その中でも話題になったのが、「タイムスリップ!! 同窓会コンサート」の出演です。小川知子や今陽子らとともに全国を行脚し、年間100以上のステージを披露します。

往年の名曲も艶のある伸びやかな歌声で、新たに生まれ変わりました。2019年には、阿久悠の未発表曲「静かに、愛がとび立つわ」も発売。

また、彼女の名曲を収録した、「伊藤咲子 ゴールデン☆ベスト」も売れ続け、現在も絶好調の伊藤咲子さんです。

次にヒット曲などご紹介します。


伊藤咲子若い頃から現在・ヒット曲の紹介~木枯らしの2人~

それでは最後に、伊藤咲子さんの1番のヒット曲を紹介して終わりたいと思います。

みなさんは、何だと思いますか? あの曲? それとも…?

それでは…、発表します!!

第1位 木枯しの二人/28万枚
第2位 きみ可愛いね/21万枚
第3位 乙女のワルツ/13万枚
第4位 ひまわり娘/11万枚
第5位 青い麦/10万枚

第1位に輝いたのは、「木枯らしの二人」でした!!

「木枯らしの二人」は、1974年12月1日に発売された3枚目のシングルで、作詞:阿久悠・作曲:三木たかしのゴールデンコンビによるものです。

冒頭から大人びた歌詞が衝撃的で、駆け落ちを匂わすような雰囲気が漂います。

木枯らし吹く、寒い公園に片寄せあう二人。

信じあえるのはお互いだけだと、涙を流しながら固く固く抱き合う…。

まるで、その後の彼女の人生を表していると思うのは、私だけでしょうか?

木枯らしの風は闘病を、涙を流しながら抱き合うのは離婚を表しているような気がします。

しかし、彼女には春が来ました。
新しい生活を手に入れ、再び光り輝くステージへと歩みを進めています。

これからも木枯らしどころか、もっと新しい風を吹かせてほしいと思います。

今現在も、魅力あふれる伊藤咲子さん。
ずっと変わらない「サッコちゃん」を応援したいと思っています!!




 

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