スター誕生!(スタ誕)歴代初代チャンピオンは?オーディション合格者は誰?花の中3トリオ誕生、最終回は?

テレビ番組

今回は、1971年10月にスタートしたオーディション番組・スター誕生(日本テレビ)についてご紹介していきます!

歴代チャンピオンや合格者、デビュー曲、主なスタ誕出身者の指名数、最後回の模様までをご紹介していきます。

是非最後までお付き合い下さいね!

スター誕生!(スタ誕)・オーディション番組の進行はどんなだった?

1970年から80年にかけて、日本中で大きな反響を呼んだのが「アイドル・オーディション番組」です。代表的な番組がスター誕生!です。

アイドル達が誕生した各局の番組としては

1970年:
・スター飛び出せ歌合戦(日本テレビ)
・全国ヤング歌謡フェスティバル(TBS)

1971年:
全日本歌謡選手権(日本テレビ)
・トニーの外人歌合戦(日本テレビ)
・スター誕生!(日本テレビ)

1974年:
君こそスターだ!(フジテレビ)
・決定版あなたをスターに(テレビ朝日)

などがあるが中でも「スター誕生!」は、アイドル全盛期を作り、お茶の間の人気番組となりました。

71年から萩本欽一の司会で始まった番組は、プロの審査する中、素人がテレビで歌い、スターになるまでの過程が垣間見えた所や視聴者が、審査に参加できた所も人気を呼んだ所だと思います。

先ずは応募はがきからですが、なんと1ヶ月間で、3千から5千通もの応募数のために地区予選から始まり、中から5人が選ばれテレビに出演しました。

番組の進行としては審査員5人で500点、会場の審査員500人で500点、合計1000点で合格は300点以上が合格になっています。

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この時点で、プロの歌手として通用するかの判断をするため、審査も厳しく行なわれます。

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更に、3ヶ月後の決勝大会では、芸能プロダクションや、レコード会社がプラカードを上げてのドラフトでデビューが決まりました。

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1971年10月3日〜1983年9月25日の最後までの応募数、約200万人、中から勝ち残りデビューできたのが89人のほんの一握りです。数をみればレベルの高さが解りますね。次に栄えある第1回大会の優勝者は誰だったか?歴代合格者など見ていきましょう!


スター誕生!(スタ誕)歴代出身者は誰?第1回大会の優勝者は誰?

第1回大会のグランドチャンピオンは、あの森昌子さんです。まだ13歳であったが、都はるみの「涙の連絡船」を歌い最優秀賞を受賞しました。

第4回大会グランドチャンピオンは、桜田淳子さんが牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い最優秀賞を受賞。番組史上最多の25社からスカウトのプラカードが上がり
会場をわかせました。

そして第5回大会では、伝説のアイドル山口百恵さんが 牧場ユミ「回転木馬」を歌い準優勝し20社からスカウトされました。

又、森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人は「花の中3トリオ」と言われ当時、大活躍したアイドルです。

3人の事は、又後で書きますがここでデビューした歌手と曲を列記しておきますね。

皆さんは何人の方を覚えていますか??


スター誕生!(スタ誕)歴代合格者とデビュー曲(1972~1978)

1972年
森昌子 「せんせい」
三橋ひろ子「私の花言葉」
コスモス 「若草物語」
藤本哲也 「冬の旅」
1973年
南陽子 「赤い花まつり」
鷲と鷹 「さすらい渡り鳥」
桜田淳子 「天使も夢みる」
長田たいじ 「女の未練」
池田正臣 「われしのぶ」
山口百恵「としごろ」
最上由紀子「初恋」
シルビア・リ―「霧のエトランゼ」
宮本賢治 「さすらい」
藤正樹 「忍ぶ雨」
おがた愛 「別れのブラックコーヒー」
菅原昭子 「十七歳の行進曲」
堺淳子 「祭りの思い出」
緑川真 「高校時代」
城みちる 「イルカにのった少年」
1974年
松田新太郎 「君でいっぱい」
伊藤咲子 「ひまわり娘」
しのづかまゆみ「パパはもうれつ」
石江理世 「目かくし」
小林美樹 「人魚の夏」
米永透 「あれから」
梶たか子 「京都初雪」
麿こうじ 「悲しみの湖」
渡辺秀吉 「ぼくはもう一度恋をする」
柴葉子 「白い羽根」
1975年
片平なぎさ 「純愛」
目黒ひとみ 「わたしのシュガー・ボーイ」
小川真代「それでも私は」
岩崎宏美 「二重唱」
黒木真由美 「好奇心」
1976年
新沼謙治 「おもいで岬」
北村優子 「若草のデート」
神保美喜 「はじめてのワルツ」
朝田のぼる 「白いスカーフ」
横本メイ「すてきな貴方」
ピンク・レディー「ペッパー警部」
浦部雅美「少し遠出をしてみませんか」
1977年
神田広美 「人見知り」
清水由貴子 「お元気ですか」
久木田美弥 「少女自身」
谷ちえ子 「花の女子高数え歌」
ものえ和恵 「帰っちまえ!」
梓真由美 「白い猫おいで」
1978年
岩城徳栄 「ダウン・タウン・ベイビー」
渋谷哲平 「朝日に向って」
石野真子 「狼なんか怖くない」
大橋恵里子 「経験シーズン」
豊田清 「青春PART1」
金井夕子 「パステル・ラヴ」
北野玲子 「初恋景色」


スター誕生!(スタ誕)歴代合格者とデビュー曲(1979~1985)

1979年
ポップコーン 「ブルーロマンス薬局」
川崎公明「ひとりにしてくれ」
菅沢恵子 「哀しくて哀しくて」
井上望 「ルフラン」
杉田愛子 「花吹雪」
1980年
北原裕 「愛は今から」
柏原芳恵 「No.1」
鯨井ゆかり 「街はおしゃべり」
甲斐智枝美 「スタア」
1981年
水谷大輔 「星屑海岸」
矢野良子 「ちょっと好奇心」
1982年
小泉今日子 「私の16才」
中野美紀 「未経験」
中森明菜 「スローモーション」
水谷絵津子 「キラリ・涙」
ルー・フィン・チャウ 「スター誕生」
1983年
堤久美子 「浜辺のマドリガル」
宮原巻由子 「花明り」
松尾久美子 「メモワール」
松本明子 「××Kiss(オス・メス・キス)」
吹田明日香 「バ・ケー・ショ・ン」
河上幸恵 「ブルー・エトランゼ」
太田貴子 「デリケートに好きして」
愛田悦子 「まわり道」
高橋美枝 「ひとりぼっちは嫌い」
小椋幸子 「初恋しぐれ町」
松本泰司 「BAD BOY ON STAGE」
滝里美 「東京ジンタ」
1984年
岡田有希子「ファースト・デイト」
田中さとみ 「私の神様」
鈴木ゆかり 「新プロ野球小唄 中日編」
1985年
宮野比呂美 「横浜ジゴロ」

この中でも抜群の歌唱力があったのは、岩崎宏美さん、伊藤咲子さん、中森明菜さん、新沼謙治さん藤正樹さんなど70年80年代を代表する様な顔がならんでいますね。

新沼謙治さんは、3回落選してしまいましたが、4回目にして合格をつかみ取り現在の地位を築いています。

次にスター誕生!から飛び出した、70年代「花の中3トリオ」についてみていきましょう。


スター誕生(スタ誕):森昌子・桜田淳子

・森昌子:1958年10月13日生まれ・本名、森田昌子

栃木県、宇都宮のアイスクリーム屋さんの両親の元で育てられました。

父親が演歌好きで、歌う方の実力もあり「NHKのど自慢」で優勝してしまうほどの実力者であったが年齢や色々なハンディキャップがありプロの歌手は諦めてしまいます。

そこで、娘の昌子さんに夢をたくし歌手への長い道のりが始まります。

まだ母のお腹の中にいるうちから胎教は演歌、生まれてからも子守唄は演歌だったそうです。

また、演歌の中でも「都はるみ」の曲を念頭におき教育していました。

昌子さんが小学4年生の時に家族で上京してからは歌うのが難しいとされた「涙の連絡船」を何万回も練習したと昌子さんは話しています。

そして運命ともなる1972年1月「スター誕生!」に出場。

「涙の連絡船」を歌い予選通過、グランド・チャンピオン大会へ。

大勢のスカウトマンの中、昌子さんの歌う「涙の連絡船」はプラカードが13本も上がりチャンピオンとなった。

その後は父の手から離れ、スター街道をまっしぐらに進んでいきます。

・桜田淳子:1958年4月14日生まれ・本名、桜田淳子

秋田県秋田市に生まれる。末っ子で、子供時代は遊ぶ相手は男の子が多くワンパク娘でした。

小学校4年生の頃にご両親相手にほうきをマイク代わりに歌っていたそうな。

中学生になると演劇部に入りそこから淳子さんのアイドルへの道が始まります。

中学2年の時に「スター誕生!」の秋田大会があること知り応募。

見事に勝ち上がり、夢だったチャンピオン大会へ進んでいます。

第4回チャンピオン大会では「可愛いすぎて困るほど」と言われ

30社いたプロダクションの内、25社が名乗った記録が残っています。

こうして淳子さんは、上京し東京の品川女子中学校へ転入し、

アイドルとしての第一歩を踏み出しました。

その後は持ち前の負けん気で、一人前の歌手として成功していきました!


スター誕生(スタ誕):山口百恵

・山口百恵:1935年1月17日生まれ・本名、三浦百恵

東京都渋谷区で生まれ、4歳の時に両親の離婚、母親が支えとなり百恵さんと妹さんを育てました。

一家には愛犬がおり良く散歩をして過ごしていました。

その後横須賀の県営アパートが当選し、3人は引っ越しする事となります。

ここでは、犬が飼えず愛犬との別れが忘れられない思い出となっています。

百恵さんは、中学に入学したての頃から歌手になりたいと思い始め、授業中に色々なジャンルの歌を勉教していました。

そのころには、テレビで運命の「スター誕生!」が始まっていました。

当時、有楽町のそごうデパートにあったNTVホールでの予選会に応募しましたが、700人もの応募者数になっていました。

百恵さんは、牧葉ユミの「回転木馬」を歌い1次、2次審査を突破しテレビでの最終審査では、余裕で通過ラインをクリアしています。

第5回のチャンピオン大会では、プラカードも沢山上がり多数の応募者の頂点にたちました。

以後は、母娘3人で静かに暮らして来た少女が、ステージで大きなスポットライトを浴びる事となります。

ちなみにチャンピオンはシルビア・リ―(韓国出身)の女性。

山口百恵さんは準優勝でした。


スター誕生!(スタ誕):ピンクレディー・中森明菜・小泉今日子

1976年に華々しくデビューしたのがピンクレディーです。

2人は静岡での予選に出場し、フォークソングを歌ったが落選してしまいました。

今度は東京の予選に出ましたがここでも落選、他のオーディション番組にも応募したが、やはり落選。

4回目のスター誕生!の予選でようやく合格となり決勝に進むことが出来ています。

あの一世を風靡したピンクレディーが思わぬところで苦戦をしていました。

どこかで挫折し諦めていたら大ヒット曲「UFO」も生まれなかったし、あの振り付けも真似をすることもなかったと思うとぞっとします。

ピンクレディーの後は、小泉今日子さんが1982年3月21日に「私の16才」でデビュー。

その後はアイドル、女優で活躍され何度も各賞を受賞されています。

そして中森明菜さんが1982年5月1日に「スローモーション」でデビュー。後に続く曲が出るたびにヒットを飛ばし一躍有名歌手となっています。


スター誕生!(スタ誕)で、12年間の主なアイドル達の指名社数は?

最高指名社数(プラカードが上がった数)桜田淳子さんの25社が最高・山口百恵、新沼謙治さんが20社

黒木真由美、渋谷哲平さんが18社・伊藤咲子さん17社・石野真子さん16社・清水由貴子さん14社

森昌子さん13社・中森明菜さん11社・岩崎宏美さん、ピンク・レディーが8社・岡田有希子さん4社

柏原芳恵さん、小泉今日子さんが3社・神保美喜、松本明子さん1社。となっています。


スター誕生!(スタ誕)番組の最終回

最終回では、冒頭にスタ誕出身の歌手が終結し「スタ誕賛歌」を歌い、司会の西川きよしが

「それでは皆さん、またお会いする日まで」とコメントしている。初代司会者の萩本欽一さんからもコメントがあった。

「スター誕生!」は、ホリプロスカウトキャラバンや、ニューミュージックにおされた感じもしますが、70年代80年代のアイドル界に旋風を巻き起こし、大きな功績を残し終止符を打った番組だったと思います。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。


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