花の中三(中3)トリオ 結婚は?デビュー、ヒット曲は?・森昌子・桜田淳子・山口百恵の高校卒業武道館コンサートは?

女性歌手

ここでは1973年に「スター誕生!」と言う番組から生まれた、「花の中三トリオ(花の中3トリオ)」森昌子さん・桜田淳子さん・山口百恵さんの若い頃から現在の活動、結婚、ヒット曲などについてご紹介していきます。

是非最後までお付き合いくださいね!




花の中三トリオ(花の中3トリオ)の森昌子は何番目のデビュー?歌やその後の活動は?結婚は?

花の中三トリオで最初にデビューしたのは森昌子さんです。

1956年10月13日、栃木県宇都宮市に生まれ。子供時代は、父親に演歌を教わり、よくのど自慢大会に出ていました。

1971年の12月に、日本テレビの「スター誕生!」のオーディション番組で初代グランドチャンピオンに輝き、1972年には「せんせい」でデビュー。

その後も「同級生」や「中学三年生」と続け様に学園ソングを歌いヒットを飛ばしています。

一躍スターとなった森昌子さん、1977年の「なみだの桟橋」を切っ掛けに本格的な実力派の演歌歌手へと成長しています。

1980年代では私の中では「哀しみ本線日本海」や「越冬つばめ」と言う曲は名曲として心に残っています。

NHK『紅白歌合戦』でも多く姿を拝見していました。初出場の紅白歌合戦ではまだ15歳で、女性最年少の記録になっています。

80年代以降には、女優としても活躍しています。TBSの金曜ドラマ「想い出づくり。」などドラマにも出演していますね。1986年10月1日に演歌歌手の森進一と結婚しますが、活動は減少してしまいます。

2006年の再開後は、連続テレビ小説「どんど晴れ」で女優として活躍しました。

2016年にはデビュー45周年を迎え、記念シングルとして「百年の恋歌」 アルバム「百年の恋歌~時を終えて」を発売しました。当日は自身初のクラブでの記念ライブショーも行なわれました。

2019年3月25日、年内限りでの芸能界引退を所属事務所が発表、12月25日、故郷の栃木県宇都宮市でのコンサートをもって活動終了し、惜しまれつつも芸能界を引退しています。

次に花の中三トリオ・桜田淳子さんについて書いていきます。


花の中三トリオ(花の中3トリオ)の桜田淳子は何番目のデビュー?歌やその後の活動は?結婚はいつ?

森昌子さんに次いで2番目にデビューしたのが桜田淳子さんです。

1958年4月14日、秋田県新屋生まれ。中学生の頃歌謡教室に通ったり、廃部だった演劇部を立て直したり、文化祭で公演していた。

そんな淳子さんが「スター誕生!」を知ったのが中学2年の頃。決勝大会で、4代目のグランドチャンピオンになったのは1972年9月6日でした。

大会では、合格点は250点だが573点の過去最高記録で合格しています。決勝大会では、過去最高の25社のプラカードが上がりました。

デビューをしたのが1973年2月の事、デビュー曲の「天使も夢みる」では、トレードマークのエンジェルハットがとても印象的でしたね。

又、1973年のレコード大賞では「私の青い鳥」の大ヒットで 最優秀新人賞を受賞しました。アイドルとして活動していた淳子さんだが、1980年代では初主演の「アニーよ銃をとれ」では、芸術祭大衆芸能部門で優秀賞を受賞したり、女優としての将来も大いに期待されました。

1982年の「笑っていいとも」のテレフォンショッキングでは、第1回目のゲストで出演しています。

1992年には、世界平和統一家庭連合(旧:統一教会)の合同結婚式で会社役員をされている東信行さんと結婚をされます。これは、19歳の頃から姉の影響を受け入信したと伝えられました。

霊感商法の問題など、多くのマスコミに取り上げられ、当時は騒がれていました。

そして、1993年の映画「お引越し」が女優として最後の出演となり、事実上の引退状態が非常に惜しまれるところです。

それでは次に、花の中三トリオ・山口百恵さんについて書いていきますね。


花の中三トリオ(花の中3トリオ)の山口百恵は何番目のデビュー?歌やその後の活動は?結婚はいつ?

「花の中三トリオ」の中では、一番遅くデビューしたのは山口百恵さんです。

1959年1月17日、東京都渋谷区生まれ。ご両親は正式に結婚はされておらず4歳までは母親の祖父母に育てられました。

小学校の卒業時に将来の夢は、歌手と書き中学時代の夏休みには、新聞配達のアルバイトもしたとデビュー後に話しています。

関東地区予選を突破し、1972年12月に百恵さん13歳、中学2年生の時「スター誕生!」第5回決勝大会では、回転木馬を歌い11社に指名され、準優勝に輝きます。

1973年には、東京・品川区に住む女子マネージャーのもとで下宿生活を始めます。

この年、5月21日にデビュー曲となる「としごろ」が完成しました。大ヒット曲のセカンドシングル「青い果実」では、歌詞が大人びていて衝撃を受けたことを覚えています。

百恵さんの発売されたシングルの中で「秋桜」・「いい日旅立ち」がありますが

卒業式には「いい日旅立ち」結婚式には「秋桜」が歌われ、人生の節目の曲として強く印象に残っています。又この2曲は、発売されたシングルの中でも最も売れた曲となっています。

女優としての百恵さんでは、忘れられないのが TBSドラマ・「赤いシリーズ」です。1974年の「赤い迷路」から始まり「赤い疑惑」「赤い運命」「赤い衝撃」「赤い激流」「赤い絆」「赤い死線」は常に高視聴率をたたき出しています。

映画では1973年の「としごろ」から始まり、運命となる1974年の「伊豆の踊子」に出演、ここでは、現在の夫である三浦友和さんと共演し、観客動員数253万人・配収は9億円になっています。相手役の三浦友和さんは、一般公募での出演決定でした。

この映画が切っ掛けで、百恵・友和コンビはグリコのCMにも出演、大きくお茶の間にも知れ渡り百恵さんは国民的なスターへとなっていきます。

多くの活動の中、1979年10月に三浦友和さんとの交際宣言。1980年3月には引退宣言があり同じ年、「ファイナルコンサート」が開かれ11月には結婚、引退となりました。

現在でも復活はせず、一般の人として生活を送っていますが、百恵伝説は何時までも語り継がれることでしょう!


花の中三トリオ(花の中3トリオ)の現在は?高校卒業、武道館コンサートが蘇る。

森昌子さんは2019年にスポーツ紙を通じ「人生の残された時間を、もう少し穏やかな中で充実させたい」と芸能界を引退しています。

桜田淳子さんは近年では、2018年に35年ぶりにアルバム「マイ・アイドロジー」を発表、同年3月には「Thanks45~しあわせの青い鳥」を発売しています。

山口百恵(現・三浦百恵)さんは現在キルト作家として活動しています。2019年にはキルトの作品集として、「時間(とき)の花束Bouquet du temps 幸せな出逢いに包まれて」を発売しました。この作品集には、70点もの作品が掲載されています。

花の「花の中三トリオ」は進学するごとに名前を変え「花の高三トリオ」まで続きました。

3人が高校を卒業する時、1977年3月27日・武道館コンサートを行いましたが、この模様が2021年7月「昌子・淳子・百恵 涙の卒業式 出発」としてスカパーチャンネル・歌謡ポップスチャンネルにて放送されました。

可愛かった「花の中三トリオ」も還暦を迎えられ、各方面でまだまだ頑張っていますね。

今後の活動も注意深く見守っていきたいと思います!

今回も最後までお読み頂き、ありがとうございました。



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