みなさんこんにちは、タムジーです。
今日は、80年代のトップアイドルでスケバン刑事の2代目、南野陽子さんの若い頃についてお話していきます。
南野陽子さんといえば、「あごのホクロ」がチャームポイントでとてもセクシー、みなさんが思う通り、若い頃はほんと、かわいかったですね。
そんな南野さんのデビューのきっかけや結婚の有無は当然気になりますよね。
ということで、今回は、南野陽子さんの若い頃をご紹介します。
あなたの大好きな南野陽子さんについて、詳しく知れますので、ぜひ最後までお付き合いくださいね。
南野陽子 若い頃・プロフィール、父、母、兄弟は?
それではプロフィールからご紹介します。
プロフィール:
生年月日・1967年6月23日
本名・南野陽子
出生地・兵庫県
身長・162cm
血液型・B型
所属事務所・サザンフィールド
南野陽子さんは、1967年6月23日生まれで、2023年8月現在56歳です。
今も昔も愛称は、「ナンノちゃん」です。
家族構成は、父と母、弟、本人の4人家族。
弟さんとは、今も仲が良いようでフェイスブックでツーショットを披露しています。なんでも、弟と一緒にハワイ旅行に行ったこともあるそうです。
その際に、「とんねるず」に偶然出会い、弟さんは大興奮していたとか。なんにせよ、仲の良い姉弟は羨ましいですね。
お父さんは、とても厳格な方で教育熱心だったようです。言葉遣いから礼儀にいたるまで、姉弟2人を厳しくしつけたそうですね。もちろん、南野さんが芸能界に入るのも大反対されていました。
しかし、娘がデビューして頑張る姿を見て、南野さんが21歳のときに仕事を辞め、個人事務所の社長に就任します。
もちろん、芸能界のことなど全く分かりません。何もかも手探りだったでしょうが、立派に南野さんをサポートしたのでした。
晩年は頸椎の病気にかかり、歩行が困難になりましたが、最後まで南野さんを応援していたそうです。闘病の末、2022年5月に他界しています。厳しくも、優しいお父さんだったんですね。
お母さんは、南野さんによく似た美人な方です。美人なだけに、周囲も放っておかなかったのか、お母さんも芸能界を目指していた頃があったそう。
やはり、血は争えないということでしょうか。そんなお母さんですから、南野さんの芸能活動を誰よりも応援していたそうです。
娘の大活躍を見続け、心底安心したのか、2011年11月に脳出血と心内膜炎のため他界しています。
南野陽子 若い頃・デビューのきっかけ
さて、家族からも愛され、応援され続けた南野陽子さん。
デビューのきっかけは、公開番組を見学していた際にスカウトされたことだそうです。大阪の某番組の公開収録時に見学していたら突然カメラマンさんに声をかけられます。
あれよあれよという間にレコード会社に行かれ、オーディションを受けることになったのです。当時、高校生だった南野さんは、本当に驚いたそう。
驚きすぎて、「何か歌ってください。」という審査員に対し、「嫌です。」ときっぱり断ったとか。それでも合格するところが、南野陽子たる所以でしょう。
スターになる人は、デビュー前から一味違うものなのですね。
南野陽子 若い頃・デビュー曲は「恥ずかしすぎて」、ドラマ「スケバン刑事Ⅱ少女鉄仮面伝説」で大ブレイク!写真集は?同期は誰?
南野さんの待望の芸能界デビューは、1984年の秋に放送されたドラマ「名門私立女子高校」の生徒役でした。しかし、これは周囲が期待するほどの注目はされずに、ひっそりとドラマも終了。
南野さんも不完全燃焼だったことでしょう。
翌年、1985年6月23日に発売したデビュー曲「恥ずかしすぎて」も、オリコン最高順位が57位と飛躍できず…。
今では知名度が高い南野さんですが、デビュー時は苦戦の連続だったのです。
こうして、苦しいスタートだった南野さんですが、風向きが変わったのは1985年11月のドラマ「スケバン刑事Ⅱ少女鉄仮面伝説」フジテレビ系への出演でした。
当時、スケバン刑事といえば、斉藤由貴が主演し、大旋風を巻き起こしていた超人気ドラマです。その、2代目の主演に抜擢された、南野さん。結果は…。大成功でした!
平均視聴率は14.30%で、なんと最終回の「少女鉄仮面伝説・完 さらば二代目サキ」は19.1%を叩き出したのです。
また、南野さんの決め台詞、「おまんら、許さんぜよ!」を真似する若者が続出。スケバン刑事Ⅱは社会現象にまでなったのです。
このドラマの活躍で、南野さんは一躍トップアイドルの地位を確立、写真集までも発行部数でトップとなり人気を誇りました。
写真集では、1986年から2004年までに「陽子をひとりじめ・・・」「スケバン刑事II写真集」「映画「スケバン刑事」写真集 愛のセーラー服戦士」「生のまま天使風来」「Yoko Minamino-my dear (TYO tiny pictures)」「南野陽子 Great-ALL SELECTION」「FLOWERS」が発売されています。
そして、1985年歌手デビューの同期は、斉藤由貴・中山美穂・本田美奈子・網浜直子・森口博子・井森美幸・石野陽子・河合その子・松本典子・芳本美代子さん、グループでは、おニャン子クラブ・C-C-B・少年隊などがデビューした年でした。
南野陽子 若い頃・ラジオ番組やヒット曲は?
スケバン刑事Ⅱがきっかけとなり、多くの若者人気を獲得した南野陽子さん、次なる快進撃は、ラジオ番組のレギュラーでした。
南野さんは1986年10月~1990年6月まで、約4年間「南野陽子~ナンノこれしきっ!~」という深夜ラジオを担当し、大人気番組となったのです。
この番組の構成は、南野さんのトークやリクエスト曲、視聴者参加型コーナーとなっていて、中でも人気を呼んだのが、南野さんのトークです。
トーク内容は、主にドラマや映画の収録の裏話や彼女の近況や面白かった出来事など、話題は多岐に渡っていました。特に、深夜ラジオということもあり、「ここだけの話」「ラジオだけの秘密の話」などがあり、本人曰くかなりぶっちゃけていたそうです。
番組は4年で突然打ち切りになるのですが、伝説の番組として16年後に「南野陽子~今日はナンノ日っ!~」として復活します。
霜降り明星のせいやさんなども出演するなど、話題を呼び放送開始から5年間も続いたのです。今も昔も衰えることがない、南野陽子さんの人気、流石というしかないですね。
かくして、さらなる人気を得た南野さんは、ヒット曲を連発します。
・楽園のDoor(1987年1月10日発売)
・話しかけたかった(1987年4月1日発売)
・パンドラの恋人 (1987年7月1日発売)
・秋のIndication(1987年9月23日発売)
・はいからさんが通る(1987年12月2日発売)
・吐息でネット(1988年2月26日発売)
・あなたを愛したい(1988年6月18日発売)
・秋からも、そばにいて(1988年10月8日発売)
・フィルムの向こう側(1989年11月29日発売)
誰もが一度は聴いたことがある名曲達。全てオリコン最高1位を獲得したシングル曲ですね。
歌番組にも引っ張りだことの南野さんは、当時の人気アイドルの中山美穂、工藤静香、浅香唯さんらと共にアイドル四天王と呼ばれました。まさに、時代が南野さんを求めていたのですね!
南野陽子 若い頃・結婚、旦那、子供は?
スーパーアイドルとして一時代を築いた南野さん。
現在は既婚者であり、2011年3月3日に金田充史さんと入籍しています、交際から僅か半年での電撃結婚でした。
南野さんのような美人と結婚できるなんて、羨ましすぎますね。
金田さんは南野さんより4歳年下で、結婚時は無職。あまり定職に就かないタイプなのか…、不穏な噂もある方です。
銀座ママとのただならぬ関係やタクシー運転手への暴行事件など…。しかし、現在も南野さんとの結婚生活を続けているようなので良しとしましょう。
末永く幸せな結婚生活を願っています。ちなみに、2人の間には子どもはいません。
今現在も昔も美しいナンノちゃん、ずっと応援したいですよね。
この続きは「南野陽子 現在」にてご紹介しています。下記リンクからお入りくださいませ。ファンの方は必読ですよ☆
「南野陽子 現在・山が好きでとても綺麗、結婚、旦那は?カンボジア親善大使とは?コンサート、CD、出演情報は?」
それでは、今回も最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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