澤田知可子 現在 病気、結婚、旦那は?「会いたい」で大ブレイク、現在の活動は?沢田知可子

女性歌手

今回は、2022年でデビュー35周年を迎えた澤田知可子さんをご紹介します。

「沢田」から「澤田」に名前を変えたのは、何か心の変化があったのでしょうね。

澤田知可子さんと言えば「元祖・泣き歌の女王」代表曲「会いたい」は、あまりにも有名ですね。

そんな澤田知可子さんのデビュー前、若い頃から現在まで年齢、病気、結婚、旦那さんの事など詳しくご紹介したいと思います。

どうぞ最後までお付き合いくださいね。




澤田知可子 現在・「沢田知可子」から「澤田知可子」に改名、プロフィール、年齢は?学歴、高校は?

2022年5月22日、公式サイトにて改名のご報告があり「沢田知可子」から「澤田知可子」に改名されました。

デビュー35周年を迎え、その節目に、人生のパートナーである小野澤 篤さんの「澤」をとり「澤田知可子」と改名されたと発表されました。

澤田知可子(改名前:沢田知可子)
生年月日:1963年8月4日
出身地:埼玉県与野市(現さいたま市中央区)

2022年現在59歳になられた澤田知可子さん、与野市立鈴谷小学校(現:さいたま市立鈴谷小学校)に入学、小学校時代は「フィンガー5」にはまり、友人とフィンガー5を結成するほどのファンでした。

中学校は、与野市立与野南中学校(現:さいたま市立与野南中学校)を卒業されました。

学歴で出身高校、大学などに関しては情報がなく分かりませんでした。

その後、埼玉県の交通安全協会の職員として勤務されました。


澤田知可子 現在・デビューのきっかけは?

交通安全協会に3年勤務していた澤田知可子さん。

「天職に転職」したいと3年間ずっと探し続けていました。

職場の新年会の時にカラオケパブで杏里さんの「悲しみが止まらない」を歌うと、客席にいた市役所のブラスバンドの方に、「今度ボーカルをやってくれない?」と言われスカウトされました。

そのブラバンのメンバーの中で、バンドをやっていた方に誘われメンバー入りし、ライブ活動を開始。

その頃中学生時代から慕っていたバスケ部の先輩(男性)に相談していたところ、「人生勝負しろよ」と言われ、歌手を目指そうと思いました。その先輩は何時もライブを見に来てくれて応援してくれたと話されています。

後にプロデビューを意識し、独自にバンドを結成。

業界人も多く来ると言うライブハウス・渋谷ランタンのマスターにも「業界の方に渡して下さい」と言い、デモテープを渡したところ、次の日には「あなたを応援するよ」と言われ、女性のプロデューサーを紹介されました。

これがきっかけとなり1987年10月5日「恋人と呼ばせて」でデビューを果たしました。


澤田知可子 現在・デビューシングル「恋人と呼ばせて」秘話は?

デビューシングル「恋人と呼ばせて」は、叶わぬ恋を歌った曲です。澤田知可子さんは、このデビュー曲の秘話をテレビで語っています。

そんな曲だからか有線放送では、銀座の夜のお姉様からのリクエストが1位となる奇跡を起こしました。そこから地方のスナックなどに徐々伝わったというエピソードがあります。「現在でもこの曲が好きです」と言ってくれるママさんもいる」

引用:太川陽介のスナック歌謡界

曲の始まりの歌詞「ねぇ、朝がくるまで恋人とよばせて、抱きしめて、踊りたいその胸で・・・」

静かなメロディーで始まり、胸がキュンとするこの曲に惹かれた方も多いのではと思います。

女性の気持ちがこもっていて、都会的な音色を持ち優しい笑顔で歌われる澤田知可子さん、私の中ではベスト3に入るほんと素敵な曲です。




澤田知可子 現在・「会いたい」レコーディング秘話は?

1990年6月27日、代表曲「会いたい」はアルバム「I MISS YOU」からシングルカットされました。

長期に渡りロングヒットが続き売り上げ枚数130万枚を達成。オリコン100位以内に87週もの間ランクインされた名曲です。

1991年には、有線放送大賞でグランプリを受賞、その年の「第24回NHK紅白歌合戦」にも出場されました。

2000年には「21世紀に残したい泣ける名曲」として1位に選出されています。

「会いたい」は歌手としてラストチャンスの曲でした。メロディーは出来上がっていましたが、歌詞がレコーディングぎりぎりに出来上がり、作詞家の沢ちひろさんが何回も書き直してくれた渾身の1曲でした。作曲は 元「チューリップ」財津和夫さん。

レコーディングは、たった3回歌っただけだったと澤田知可子さんは話されています。




澤田知可子 現在・「会いたい」秘話は?

先にもご紹介しましたが、澤田知可子さんには中学の頃から慕っていたバスケ部の先輩がいました。

その方は「俺がお前のファン1号だから、お前の歌が聞きたい」と毎週の様にライブを見に来て応援してくれた方でした。

その先輩は澤田知可子さんに電話をした時があり、つい忙しいからと居留守を使った事があり、その後先輩は交通事故を起こし、24歳で命を落としてしまったのです。

もしも居留守を使っていなかったら、先輩は死ななかったのかもしれない、と思うと悔み切れない想いで泣き崩れてしまいました。

そんな経験をした澤田知可子さんは「会いたい」の歌詞が出来上がり見た時に息が止まったと言う。

その歌詞には、バスケ部の先輩との思いでと重なる歌詞が多く入っていて驚きました。作詞家の沢ちひろさんに先輩の話はしたことはありません。

引用:太川陽介のスナック歌謡界

この偶然とは思えない素晴らしい歌「会いたい」と出会った事で

歌手を続けられたと話しています。

「会いたい」を聴く度につい溢れてしまう涙、心に深く届く素晴らしい曲だと思います。




澤田知可子 現在・「幸せになろう」結婚、旦那、病気は?住まいや現在の活動は?

1993年7月21日に発売されたシングル「幸せになろう」はオッペン化粧品のCM曲に抜擢され、こちらもヒット曲となりました。

バンドメンバーであったピアニストの小野澤篤さんと結婚。出会って30年以上経ち現在は夫婦で小田原に引っ越ししています。

夫婦では、たまに喧嘩もあるそうですが圧倒的に澤田知可子さんが強いそうですね。

キーワード検索では病気とありますが、現在病気の情報は見つかりませんでした。健康的な生活で、食生活も野菜中心で病気にはなっていない様子ですね。

現在の活動は?

2005年から「ココロとカラダに優しい歌薬」をテーマにした「歌セラピーコンサート」開始。

2011年には、 東日本大震災復興チャリティーソング「花は咲く」に参加されています。

2019年には夫・小野澤篤さん(ピアニスト)と共に「魂を癒すヴォイスヒーリング」、「生きる力」、「絆を育てよう」をテーマに全国で「歌セラピーライヴ」を行っています。

また「涙ソムリエ」として涙の効能を広めるためにオフィシャルYouTubeチャンネル澤田知可子の歌セラピーを開設されています。

2023年元旦では、THE カラオケ★バトル『またまたそれやっちゃう? あの大ヒット曲・ご本人は何点出せるか 新春SP!』(テレビ東京)に出演されます。


THE カラオケ★バトル『またまたそれやっちゃう? あの大ヒット曲・ご本人は何点出せるか 新春SP!』

この番組拝見しました、さすが「元祖・泣き歌の女王」でした。

ゲストの皆様の涙腺が緩んでいて、つられて見ている方も涙が止まらなくなってしまいました。

心に寄り添ってくれる様な優しい歌声でとても癒されました。

「会いたい」のカラオケ全国平均点87.606点

澤田知可子さんのカラオケ点数は91.046点でした。

なんでもこの曲が生まれた頃、コンビニなどで「会いたい」が流れると、女性客が曲が終わるまで帰らない現象も起きたそうです。

2度と会えない切ない恋を歌ったこの曲、いつまでも歌い続けてほしいと思います。

2023年に入り、更に飛躍される年になりますように願っております。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。




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