レベッカnokko(ノッコ)若い頃・生い立ちは?・現在は?・結婚、夫の職業、子供、離婚は?・ヒット曲、代表曲は?

女性歌手

こんにちはタムジーです。

REBECCA(レベッカ)のボーカルで、現在もシンガーソングライターとして活躍するNOKKO(ノッコ)。

レベッカ時代若い頃は、爆発的なヒット曲「フレンズ」「moon」などは有名な代表曲ですよね。

そこで今回は、一躍ブレイクを果たしたロックバンド「レベッカ」のボーカル、NOKKO(ノッコ)さんについてご紹介していきます。

どうぞ最後まで、お付き合いくださいね!

nokko(ノッコ)若い頃:生い立ち・REBECCA(レベッカ)デビューへ

NOKKO(ノッコ)プロフィール:
生年月日・1963年11月4日
本名・保土田信子(ほとだのぶこ)
旧姓・山田
出生地・埼玉県浦和市
小学生時代にバレリーナを目指してたNOKKO(ノッコ)は
152㎝程の身長や、経済的な問題もあり諦める選択をしています。
目標を失い落ち込んでいた時に、兄の山田貢司にアマチュアバンドに誘われました。
そのことが音楽活動を始めるきっかけになっています。
1982年の冬、アマチュアミュージシャンが集まりレベッカを結成。
当時「DOLL」と言うバンドのボーカルだったnokkoが加わりました。
リーダーであるギターの木暮武彦とNOKKO(ノッコ)は、
活動を停止し1982年7月より、約半年に渡りデモテープをロサンゼルスへ渡り売り込むも、ここでは夢はかないませんでした。
バンド活動を再び開始し、1983年8月にはCBSソニーのFITZBEAT(フィッツビート)レーベルのオーディションに挑むと見事合格。
1984年4月21日、シングル「ウェラム・ボートクラブ」でデビューしています。
その後は全国のライブハウスを中心とした活動が続き、
はじめは観客の反応は悪く、観客がたった4人の事もあったと話されています。
徐々にファンも増えましたが、レコードの売り上げでは苦戦していました。



nokko(ノッコ)若い頃:デビュー~REBECCA(レベッカ)大ブレイクへ

音楽的な方向性の違いからメンバーの入れ替えが続き、
メンバー:
NOKKO(ボーカル)
土橋安騎夫(キーボード)
高橋教之(ベース)
小田原豊(ドラムス)
で土橋安騎夫を新リーダーとして、レベッカは再出発しました。
当時はまだ、女性ボーカルと演奏が男性と言うメンバー構成が
珍しい時代、
レベッカは、このスタイルの先駆けとなったバンドになっています。
そしてこの頃、すでに世界的にヒットを飛ばしていた
マドンナ、シンディ・ローパーなどの
女性シンガーのスタイルを取り入れ、
1985年4月21日にCBSソニー・FITZBEATから発売された3枚目のシングル「ラブ・イズCASH」は、
マドンナの大ヒット曲「マテリアル・ガール」を彷彿させる曲に仕上がっています。
NOKKOの踊りの切れも良く、小さな体を大きく動かして歌う。
そんな光景が今でも蘇ります。
ちなみにこの曲は、オリコン30位、3.8万枚の記録をのこしています。
さらにレベッカでは、最大のヒット曲となる
シングル4作目「フレンズ」が発売されます!



nokko(ノッコ)若い頃:REBECCA(レベッカ)ヒット曲や代表曲「フレンズ」

ここではREBECCA(レベッカ)での代表曲をご紹介していきます。
やはりレベッカと言えば、1985年10月21日発売4枚目のシングル「フレンズ」です!
オリコン3位、30.7万枚売り上げた曲ですね。
この曲は、独自の世界観でマイナーなメロディーと、伸びのある歌唱法で日本人の心をとらえた1曲ですね。
1度はカラオケで歌った事があるのでは?
またドラマ「ハーフポテトな俺たち」の主題歌にも抜擢されています。
もう1つは、コンサートなどで最後に歌う定番な曲。
「Maybe Tomorrow」は、
レベッカでは屈指の名バラードな曲ですね。
1985年11月1日発売のアルバム
「REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜」は、
オリコン・チャート1位になった作品です。
この曲は、疲れたり嫌な事があったときに聞きたくなる曲ですね。
疲れ果てた体よこたえ
目を閉じて今日を思いかえす
汗にまみれてただがむしゃらで
夢はまた遠い1日だった
だけど明日はきっといいこと
あると信じてたいの Maybe Tomorrow
Maybe Tomorrowより
REBECCA(レベッカ)のヒット曲は以下の通りです!
REBECCA(レベッカ)ヒット曲トップ5:
フレンズ 30.7万枚(85年10月21日)
ラズベリー・ドリーム 21.8万枚(86年5月2日)
モノトーン・ボーイ 15.4万枚(87年4月22日)
モーター・ドライヴ 13.7万枚(86年6月21日)
One More Kiss 13.4万枚(88年11月21日)


nokko(ノッコ)若い頃:REBECCA(レベッカ)解散~ソロシンガー・代表曲「人魚」

レベッカは「RASPBERRY DREAM」「MOON」などのヒット曲を発表し
1987年には、日本ゴールドディスク大賞ではThe Grand-Prix Artist Of The Yearを受賞しています。

名実共に1980年代を代表するバンドに成長しています。

1989年には映画「スウィートホーム」にも出演しています。

その後は日本武道館・東京ドームなど大規模なコンサートをこなしていましたが、

あまりの忙しさに、創作意欲にも影響を及ぼしてしまい

1990年1月に行われたコンサートツアー

「BLOND SAURUSの逆襲」日本武道館のコンサートを最後に活動休止してしまいます。

そして、翌年の1991年2月14日に解散となりました。

解散後1992年からは、ソロシンガーとして活動を開始しています。

nokkoは海外進出も果たし、1993年には
「I Will Catch U」が全米ビルボードでダンスチャート11位のヒットとなっています。

1994年3月、ソロでの代表曲でもある「人魚」(作曲・筒美京平)を発売

TVドラマ「ボクたちのドラマシリーズ・時をかける少女」のエンディング・テーマに選ばれています。

主演は内田有紀さんですね。

「人魚」は65.4万枚を売り上げ、オリコン2位の成績を残しています。nokkoが凄く可愛く歌っていますね。

抱いて抱いて抱いて・・いつ聞いてもほんと良い曲です。

また「人魚」のカップリング曲で「CRYING ON MONDAY」は、

1992年10月5日~1994年3月25日放送で、

子供向けのバラエティ番組「ウゴウゴルーガ」のはじめのうたに使用されていました。


nokko(ノッコ)若い頃:結婚、夫の職業は?子供は?離婚は?

ソロになってnokkoは、2001年に仕事を通じて10年来の付き合いのある保土田 剛(ほとだ ごう)と結婚しています。

その前に1990年に、元レベッカの初代リーダーだった木暮武彦と結婚していましたが、3年で離婚しています。

離婚の原因などは見つかりませんでした。

現在の夫、保土田 剛さんは、世界的に有名なプロデューサーでしられています。

日本の音楽プロデューサー、ミックスエンジニアであり

1991年にマドンナ のミックスやディスコの曲で有名な、チャカ・カーンのアルバム「ウーマン・アイ・アム」なども手掛け

グラミー賞・最優秀女性ソロR&Bアルバム賞を受賞しています。

また、坂本龍一や、1998年には、宇多田ヒカルのアルバム「First Love」のレコーディングミックスも担当しています。

夫の保土田 剛さんとは、2003年に音楽ユニット「NOKKO and GO」を結成しアルバム「宇宙のコモリウタ」を発売しています。

また、2006年8月1日に42歳で高齢出産でしたが女児を儲けています。

それでは最後にソロでのヒット曲や現在についてご紹介していきます。


nokko(ノッコ)若い頃:ソロでのヒット曲は?現在は?

nokko(ノッコ)ヒット曲トップ5:
人魚 65.4万枚(94年3月9日)
ライブがはねたら 36.8万枚(94年6月22日)
CRAZY CLOUDS 18.6万枚(92年3月11日)
ナチュラル 8.7万枚(96年11月1日)
恋はあせらず 3.6万枚(97年2月21日)

2005年には、静岡県熱海市に移住しています。

自宅地下にプライベート・スタジオ「Studio GO and NOKKO」を開設し活動を続けているノッコさん。

2014年には地元、熱海中学校の校歌「光る海」を夫婦で作曲もしています。

2015年夏に20年ぶりに再結成したレベッカは、

2017年7月から9月にかけて、およそ28年半振りとなる全国ツアー「REBECCA LIVE TOUR 2017」を開催しています。

このツアーでは、

「気持ちとしては音楽も家族も半分ずつじゃなく、どちらも100%でやる、という覚悟でやっていきたいですね」

出典:日経woman

と語っていました。

nokkoは現在ラジオでも自分の番組を持っています。

ニッポン放送『NOKKOのオカエリ ただいま。』

是非聞いてみてくださいね。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。


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