千葉紘子 現在 結婚、夫は弁護士?折鶴が大ヒット!年齢、生年月日は?テレビ、ラジオ出演は?

女性歌手

こんにちは、タムジーです。
今回は、千葉紘子さんについて、ご紹介したいと思います。千葉紘子さんと言えば昭和の名曲ともいえる「折鶴」の大ヒットで有名な歌手ですね。

現在でもカラオケなどでも良く歌われ、永遠に心に残る名曲だと思います。
そんな千葉紘子さんの、若い頃、結婚、旦那の事を含め、現在のお仕事まで
ご紹介したいと思います。

ぜひ、最後までお付き合いくださいね。




千葉紘子 年齢、学歴、芸能界デビューはいつ?

それでは、プロフィールからご紹介します。

プロフィール
名前:千葉紘子(ちばひろこ)
生年月日:1947年11月19日
出身地:東京都荒川区
学歴:山脇学園短期大学卒業

千葉紘子さんは、2024年の誕生日で77歳になられます。
1965年に、山脇学園短期大学を卒業され、1970年2月に日本万国博覧会(大阪万博)で行われた、「第3回 全国カンツォーネコンクール」で優勝された事がきっかけとなり、芸能界入りを果たしています。

1971年7月にシングルが発売され「恋する女に悔いはない」で歌手デビュー。
しかしながら実力派歌手でありながら、小柳ルミ子・天地真理南沙織さんの
3人娘の大人気に隠れてしまい、デビュー当時は今一つパッとしなかったのです。


千葉紘子 代表曲「折鶴」、他のヒット曲、アルバムは?

ところが、1972年8月25日に発売された3枚目のシングル「折鶴」が
ロングヒットとなり、オリコン最高位9位、100位以内に28週もの間ランクインし、
27.7万枚を売り上げる大ヒットとなりました。

その後も「初めてのお酒」「宗谷岬」がヒットしています。
他にも、1980年12月に発売された「冬の女」は、フジテレビ系ドラマ「彩の女」で主題歌に抜擢されています。

代表曲となった「折鶴」は、作詞・安井かずみさん、作曲・浜圭介さんによって
生まれた曲です。

元々、小柳ルミ子さんの1972年8月に発売した5枚目のアルバム
「京のにわか雨 はるかなるこころのふるさと SOFTLY RUMIKO KOYANAGI」に
収録された曲で、シングルにはならなかったものの、小柳さんは、自身のリサイタルで披露していました。

その「折鶴」を千葉紘子さんがカバーし、なかなか断ち切れない、一途な女性の女心を見事に歌い上げ、見事に歌い上げ、有線放送などで人気となりヒットとなったのです。また、この曲で「夜のヒットスタジオ」にも出演しています。

オリジナルアルバムでは、1972年~1991年に7枚発売され、ベストアルバムは、
2008年~2021まで毎年1枚が発売されています。


千葉紘子 テレビ、ラジオ出演は?

千葉紘子さんは、バラエティ番組などにも多く出演されています。
みんなで歌おう’71〜’75(TBS)では、司会を務め、「ルックルックこんにちは」日本テレビでは、名物コーナーの「ドキュメント女ののど自慢」で審査員を務めていましたね。

また「スターどっきり㊙報告」フジテレビ系列では、初代司会者である三波伸介さんの時に、レポーターを務め高橋基子(モコ)さんとのペアがユニークで名物となり、人気もあり大活躍されていました。

左・千葉紘子さん、右・高橋基子さん

ラジオ番組では「はつらつスタジオ505」NHKラジオ第1・「歌謡バラエティ」FM東京などでパーソナリティを務め、活躍されていました。


千葉紘子 結婚、旦那は河上和雄?

ところで、千葉紘子さんは結婚されているのでしょうか?
とても気になるので調べてみたところ、2009年の週刊誌で結婚されいたと報じていました。

お相手は、元東京地検特捜部長で弁護士の河上和雄さん。
「真相報道 バンキシャ!」のコメンテーターを務めていることでも知られていますね。河上さんは東大法学部卒業、東京地検特捜部にいた頃は、ロッキード事件の捜査も担当されたそうです。

実際に結婚されたのは2007年だそうで、わからない様にひっそりと入籍していていたのですね。河上さんは、2002年に前妻を脳出血で亡くしており、千葉さんとは再婚となります。

お二人の馴れ初めは、河上さんが法務省矯正局長を務められていた事もあり、
千葉さんも1983年から、ボランティアで少年院の「篤志面接委員」を務めており、刑務所への慰問活動などもされていたため、その事がきっかけとなり、お付き合いされていたと週刊誌で報じられていました。

ところが、悲しい出来事があり、河上和雄さんは2015年2月7日、敗血症のため死去されました。享年81歳でした。数年間の結婚生活でありましたが、幸せに暮らせたのではと思います。


千葉紘子 現在の活動は?

千葉さんは、歌手でありながら、短期大学を卒業時に中学校の教員免許を取得した事で、少年や少女の育成にも携わっています。

1983年には、法務省の篤志面接委員、1990年には保護司として各地の少年院などでカウンセリングを行っています。2002年には瀬戸山賞や、法務大臣の表彰を6回受けており、2003年には矯正協会副会長や、東京家庭裁判所家事調停委員に就任されています。

同年には、著書「あした、青空―少年院の少女たち」を出版されました。
そして2018年には、千葉さんの活動が認められ、秋の叙勲で瑞宝双光章を受章しております。

現在は、歌手活動よりも、少年院に収容された少女達の話を聴き続けているそうです。YouTubeなどで歌手としての千葉紘子さんは見られますが、コンサート活動などは、行っていない様子です。今後の活動にも、注目していきたいと思います。

本日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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