こんにちは、タムジーです。
今回は、1970年代~80年代にかけて、「18歳」をキーワードで活躍した、岡崎友記さんを紹介します。
岡崎さんといえばドラマ「なんたって18歳」や「おくさまは18歳」で大活躍し、日本中の男性を虜にした、国民的アイドルです。
可愛くて面白くて、ちょっとセクシーな、岡崎さん。
写真集「YUKI OKAZAKI」を買った方も多いのでは?と思います。
そんな岡崎友紀さんの若い頃や、結婚、離婚、旦那や子供の事などを含め、シングル曲、現在の活動まで、詳しくご紹介します。
ぜひ、最後までお付き合いくださいね。
岡崎友紀 プロフィール父、母、兄弟は?
それでは、プロフィールからご紹介します。
プロフィール:
名前:岡崎友紀
出生名:非公表
生年月日:1953年7月31日
出身地:東京都台東区浅草
身長:159cm
血液型:AB型
年齢:2024年8月現在71歳
岡崎友紀さんは、東京都台東区浅草出身で、今年71歳になります。
兄弟はおらず一人っ子です。
父親については、一切明かされていないため、ここでも触れないことにします。
岡崎さんは、母親の女手一つで育ちました。
そのため、幼い頃はいろんな苦労があったそうです。
子ども時代を振り返る岡崎さんは、次のように語っています。
「私は幼い頃から、母を支えなければならない一人娘でしたが、
とんでもないことばかりを経験した子供時代でした。」
引用:婦人公論
母親の苦労を身近に見ていた、岡崎さんは、母子ともに夢中で戦後という時代を生きたのです。
ちなみに母は、元NHKのアナウンサーで、満州放送局に勤務経験があり、元NHKアナウンサーだった森繁久彌さんとも知り合いで、芸能界にも理解があった母でした。岡崎友紀さんの転換期は「母親のススメ」にあった様です。
岡崎友紀 東宝芸能学校児童科に入学
岡崎さんは、近所のお姉さんがバレエをしていたことに憧れ、
4歳でバレエを習っています。しかし、家庭の金銭事情から月謝の支払いに苦しくなり、辞めざるを得なくなったのです。
バレエは、発表会に衣装、レッスン代など、とにかくお金がかかるもの。母子家庭の岡崎家はでは、苦しかったことと思います。
そこで、月謝がバレエに比べて安い「東方芸能学校児童科」への入学を母親に勧められたのです。これが、岡崎さんには合っていました。日々の猛練習の成果もあり、8歳で舞台に踏み出したのです。
岡崎友紀 子役から初舞台へ
8歳で初舞台のチャンスを掴んだ、岡崎さん。
きっかけは、女優・宮城まり子さんでした。
宮城さんが子役を探していた時に、岡崎友紀さんに目が止まり
その事がきっかけとなり、8歳で新宿コマ劇場で初舞台を踏みました。初舞台での心情を次の様に語っています。
「素晴らしい役者が揃っていて、お客さんがいる。音楽があって、スポットライトがあって…喝采を浴びる。何て楽しいんだろうと思いました」
引用:タレント辞書
まだ子供だった岡崎さんには、夢のような時間だったのでしょう。
その後、ミュージカル「アニーよ銃をとれ」「王様と私」などに出演。岡崎さんは芸能への道を突き進んでいきます。
岡崎友紀 ドラマ「おくさまは18歳」で大ブレイク!ブロマイドの売り上げは?
岡崎さんは、宮城まり子さんに可愛がられながら、順調に階段を駆け上がりました。
最初のビッグチャンスは、1968年。岡崎さん、16歳のときです。
NHK 制作の連続ドラマ、銀河劇場「あねいもうと」に妹役として1年間出演したのです。
このときの熱演が認められ、全国的に名前が知られるようになりました。そして、2年後の1970年に岡崎さんのブレイクスルーが始動します。
「おくさまは18歳」への出演が決まったのです。
このドラマはTBS 系で放送された、高校教師と生徒の新婚生活を
コミカルに描いた作品です。
岡崎さんは18歳の女子高生役で、夫である高木哲也(石立鉄男さん)が教師をしている名門高校、北辰学園に転入学することになってしまいます。2人は、結婚を隠し、学校生活を送ろうとしますが…。
まさに、昭和らしいコミカルな学園ドラマです。
脇役の、うつみ宮土理・冨士真奈美・寺尾聰さんのキャラクターも秀逸でした。
このドラマは、最高視聴率33.1%を記録し、国民的大ヒットとなりました。当然、岡崎さんは国民的アイドルのポジションまで一気に上り詰めたのです。
岡崎さんの快進撃は続き、1971年10月から続編の「なんたって18歳」が放送されました。当然、このドラマも大ヒットを記録します。
バスガイド役の可愛い岡崎さんが、今でも蘇りますね。
共演された松坂慶子さんも、ほんと可愛いかったです。
その後、1972年10月から放送されたドラマ「ママはライバル」
1973年のドラマ「ラブラブ・ライバル」などの一連のシリーズに出演しています。
また、ブロマイドの売り上げが46ヶ月連続で1位となり、押しも押されぬ大スターになったのです。
岡崎友紀 歌手デビューは?シングル、ヒット曲は?
岡崎さんは、1970年3月に歌手デビューされています。
女優として大成功された岡崎友紀さんですが、
もちろん歌手としても良い成績を残されています。
ドラマ「岡崎友紀18歳シリーズ」などの主題歌を歌唱し、多くの曲で作詞も担当
されています。
こちらでは、シングル売上TOP6としてご紹介します。
①ドゥー・ユー・リメンバー・ミー
最高位18位 1980年06月25日発売
②私は忘れない
最高位21位 1972年10月05日発売
③白い船で行きたいな
最高位32位 1973年07月20日発売
④しあわせの涙
最高位35位 1970年03月05日発売
⑤恋するふたり
最高位45位 1973年12月25日発売
⑥さよならなんて云わないで
最高位48位 1973年03月20日発売
「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」は、2001年1月から放送された人気ドラマ「カバチタレ!」のエンディングテーマに、キタキマユさんがカバーした「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」がタイアップされヒット!
2001年3月に、シングルCDとして再発売しています。
また、1972年10月05日発売の「私は忘れない」は、筒美京平さんが作曲された名曲で、ロング・ヒットとなりました。
岡崎友紀 結婚、旦那、離婚、子供はいるの?
岡崎さんは、通算3回結婚しています。
<1回目の結婚>
〇盛田英夫(1978年~1981年)
1回目の結婚は、1978年。岡崎さん25歳のときです。
相手は、ソニー共同創業者の長男・盛田英夫さんでした。
2人の結婚には盛田さん一家に反対され、障壁があったようです。
それを愛の力で乗り越えるものの現実は厳しく、僅か3年で離婚してしまいました。
<2回目の結婚>
〇岩倉健二(1986年~2005年)
2回目の結婚は、1986年。岡崎さん33歳のときです。
相手は、音楽プロデューサー兼ミュージシャンの岩倉健二さんでした。一部報道によると、この結婚を機に、岡崎さんは一時芸能界を引退しています。
世間では「出産?」と話題になったようですが、事実は違いました。2人は、子どもをもうけることなく、2005年に離婚を選んでいます。
<3回目の結婚>
〇高岡健二(2013年~)
3回目の結婚は、2013年の60歳のときでした。
相手は俳優や歌手、司会者なども務める、マルチタレントの高岡健二でした。高岡さんとは、現在も結婚生活が続いており、夫婦円満のようです。
まとめると、岡崎さんは結婚を3度しており、子供はいないということです。
岡崎友紀 病気はどんな?
岡崎さんは、健康診断や人間ドックも1回も行ったことがないそうです。雑誌の取材でも、病院や注射も嫌いだと語っていましたが、
2022年に両脚が痛くて歩けなくなり、良い先生を紹介してもらったそうです。
「両脚とも人工股関節の手術を受けました。
医療技術も発達して30年維持できるそうなので、これで一安心です」
引用:日刊ゲンダイ
その後もリハビリに通っていて、その前に測る血圧、血糖値も問題ないそうですよ。
また岡崎さんは、面倒くさがりやで、薬なども飲むのをわすれてしまい、そんなおおざっぱな性格も、健康に繋がっているのかもしれませんね。
岡崎友紀 現在何してる?ライブ・コンサートは?
現在、岡崎さんはエッセイ本を出版したり、ラジオ出演したりしています。また2023年12月10日には、東京のライブハウスで、70歳記念のスーパープレミアムライブを開催しています。
特に、エッセイ本「なんたって70歳」では、次のように語っています。
「私ったらほとんどの時間、自分が「老人」ということは忘れているんですよね。ほんとに、自覚が無さすぎる70歳なんです。」
引用:著作『なんたって70歳! ― だから笑顔で生きる』より
「なんたって70歳」は、昭和という時代を、笑顔で生き抜いた岡崎さんだから書ける本です。
ライブ情報として、2024年10月13日には、JZ Brat SOUND OF TOKYOにて「LIVE at JZ Brat Vol.2 LOVE&PEACE&SMILE」が行われますね。
昭和の国民的アイドルも現在は71歳。でも、それは素敵な71歳であり、強く、前向きなものです。「年齢は心のもちよう」。
岡崎さんは、常に私たちに語りかけてくれています。
今後も素敵な71歳のおくさまを、ずっと見守っていきたいと思います。
本日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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