こんにちは、タムジーです。
今回は「10代でデビューした天才アーティスト」宇多田ヒカルさんをご紹介したいと思います。
当時「Automatic」「First Love」のCDは、何回も聞いた思い出があると思います。
また「藤圭子さんの娘で母の若い頃とそっくり」とささやかれていますね。
そんな宇多田ヒカルさんは、現在何をしているのでしょうか?
そこで今回は、宇多田ヒカルさんのご両親や結婚、離婚、子供、現在の生活などをご紹介していきたいと思います。
是非、最後までお付き合いくださいね!
宇多田ヒカル・プロフィール、ご両親は?
それではプロフィールからご紹介していきます。
生年月日・1983年1月19日
本名・宇多田光
別名・Hikaru Utada
出生地・アメリカ合衆国ニューヨーク州
愛称・ヒッキー
宇多田ヒカルさんの家族構成は、父、母、本人の3人です。
父親は音楽プロデューサーの宇多田照實(てるざね)さんで、2022年現在、74歳です。
母親はみなさんお分かりですよね?
そうです。あの有名な演歌歌手である、藤圭子さんです。
この2人のひとりっ子として生まれたのが、宇多田ヒカルさんなんですね。
宇多田ヒカルさんの両親はニューヨークで知り合い、1982年に結婚しています。
この時、すでに母親の藤圭子さんは渡米していて、1983年に彼女を出産しているのです。
ですので、宇多田ヒカルさんの出身はアメリカということになります。
しかし、アメリカでの暮らしは決して裕福ではなかったようです。
現地での生活資金が底をつけば、日本に出稼ぎに来るほどでした。
出稼ぎの主な収入源は、結婚前にヒット曲を出していた藤圭子さんの地方巡業です。
父・照實さんがマネージャーをやり、スケジュールを組むというもので、当時幼かったヒカルさんも一緒に地方を回っていたそうです。
ちなみに移動手段は新幹線などではなく、全て車でお金のなさがうかがえるエピソードになっています。
そんな家族に一筋の光を与えてくれたのがヒカルさんのメジャーデビューでした。
宇多田ヒカル・平成の歌姫の誕生
宇多田ヒカルさんのメジャーデビューは1998年の「Automatic」でした。
幼き頃から藤圭子さんにR&Bのリズムを教えられ、また天性の歌唱力をもち合わせているヒカルさんのデビューシングルは200万枚を超えるセールスを記録。
独特のリズム感に日本語を乗せる彼女のスタイルは、日本の音楽市場を大きく変えるものでした。
宇多田ヒカルさんの後に、倉木麻衣さんやDragon ash、zebraなどのアーティストが続いたことからも市場の変化がうかがえます。
宇多田さんの登場が引き金になった音楽バブルは翌年も続き、1stアルバム「First Love」は、累計700万枚を超える日本音楽史に残る大ヒットとなりました。
その後も、破竹の勢いでヒット曲を連発する宇多田ヒカルさんは、一気に「平成の歌姫」となったのです。
宇多田ヒカル・19歳の若さで結婚
「平成の歌姫」となった宇多田ヒカルさんは、日本の音楽の先頭を走り続けると誰もが思っていました。
ところが、歌姫の気まぐれか宇多田ヒカルさんは、2002年に突然の結婚を発表します。
19歳での早い決断に世間は驚かされました。
相手は、15歳年上で映画監督の紀里谷和明さんでした。
ご両親からは祝福のメッセージが届き、
「人は誰もが生きていく中で、いくつかの大きな決断を下します。ヒカルも今日、とても幸せな大きな決断をしました。(中略)ヒカルの決断が、皆さんからも受け入れられ、祝福してもらえたら、それ以外に何も望むことはありません。」
引用:宇多田照實/藤圭子.スポニチアネックス公式コメント
まさに公私ともに絶頂の時期でした。
宇多田ヒカル・突然の離婚発表
19歳で結婚をし、幸せの頂きに上り詰めた宇多田ヒカルさん。
しかし、人生は山もあれば谷もある…。
ヒカルさんは離婚においても決断が早かったのです。
結婚して4年半後には、離婚を発表します。
以下、ご本人の公式ブログのコメントになります。
「4年半の結婚生活から、二人とも多くを学び、成長したと思います。互いに変化する中で、思い描く未来図や夫婦像の方向性に、徐々にズレが生じました。国際的な活動をしながらのすれ違い生活の中で、コミュニケーションが不足してしまったのが大きな理由です。」
国際的に活動する2人だからこその生活や考えのすれ違いもあったのでしょう。
なにはともあれ、ここからヒカルさんの激動の人生が始まっていくのです。
宇多田ヒカル・音楽活動の休止・母の死
2007年に離婚を発表したヒカルさんでしたが、音楽活動は継続します。
2008年には、シングル曲「HEART STATION/ステイゴールド」や「愛のとりこ」のヒット曲をリリースします。
メディアにも元気な様子を見せて、世間も一安心していました。
ところが…。
平成の歌姫はまたしても世間に衝撃を与えたのです。
2010年、突然の「音楽活動の休止」を発表したのです。
以下、本人の公式ブログに綴られた公式コメントです。
「アーティスト活動を止めて人間活動に専念しようと思います。15歳から音楽ばっかりやってきて、人として成長の止まっている部分がある。2年になるか、5年になるか、わからないけど一回り大きくなって帰ってくるよ。」
とファンに呼び掛けたのです。
これだけでも大きな衝撃だったのですが、わずか3年後、ヒカルさんを悲劇が襲います。
母親である、藤圭子さんが亡くなったのです。
死因は報道陣の憶測の域が出ないため、ここでは差し控えさせてもらいますが、ヒカルさんのショックは相当なものだったと思います。
ヒカルさんの心の支えであった母・藤圭子さん。
心安らかであることを祈ります。
宇多田ヒカル・2度目の結婚・離婚・出産・現在はロンドンで生活
最愛の母を亡くしたヒカルさんでしたが、翌年に2度目の結婚を発表します。
相手はイタリア人の一般男性で、8歳年下の方でした。
結婚後は子宝にも恵まれ、長男との日常を自身のInstagramにアップしています。
子どもとの仲は良いのですが、イタリア人の夫とは上手くいかずに2018年に離婚を発表。
またしても結婚生活が上手くいかなかったと周囲を心配させましたが、翌年の2019年には久しぶりのシングル「Face My Fears」をリリース。
平成の歌姫、宇多田ヒカルの完全復活を予感させました。
それ以降もアグレッシブな活動を展開しています。
2021年には、アルバム「One Last Kiss」が18万枚のスマッシュヒット。
2022年もアルバム「BADモード」を発表。R&B全開の高クオリティーな作品になっています。
現在は恋人などの報道はなく、ロンドンで生活されています。子育ての環境が良いようですね、音楽活動と長男との生活を楽しんでいるようです。
きっと、2023年もCDをリリースしたり、長男との様子をSNSで報告したりしてくれるでしょう。
平成の歌姫は、令和でも大活躍してくれるはず。
ヒカルさんのサクセスストーリーはこれからです。
いつまでも応援していきたいと思います!
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
コメント