太田裕美 若い頃が可愛い!現在活動中止、結婚、夫、子供、病気は?紅白出場、ヒット曲、代表曲、ライブ情報は?

女性歌手

みなさん、こんにちは。タムジーです。

今日は、昭和を代表するアイドル歌手、太田裕美さんをご紹介します。

太田裕美さんといえば、今なお歌い継がれている「木綿のハンカチーフ」で有名ですよね。日本中を虜にした、あのルックスと清涼感のある歌声が素敵です。

おそらく、皆さんも同じようなイメージではないでしょうか?

「木綿のハンカチーフ、よく聴いていたよ。」
「昭和のアイドル歌手、とっても可愛かったな。」
「太田裕美さんは、現在何をしているの?」

ということで、若い頃は可愛らしく、現在もとても綺麗な太田裕美さんのデビューから現在の活動までを詳しくご紹介していきます。

ぜひ、最後までお付き合いくださいね!




太田裕美・プロフィール、デビューのきっかけは?

それではプロフィールからご紹介します。

プロフィール:
生年月日・1955年1月20日
本名・太田弘美
出生地・東京都荒川区
出身地・埼玉県春日部市
学歴・上野学園高等学校
血液型・A型
2024年5月6日現在69歳

実家は埼玉県春日部市で工場と、お寿司屋を経営しています。

太田さんは、幼いころから音楽的感性に優れていて、小学校3年生の時にはピアノで作曲をするまでになっていたそうです。1967年4月には、上野学園中学校・音楽指導科声楽科に入学されます。

歌声が個性的な太田裕美さんに転機が訪れたのは、中学校3年生の時でした。クラスメイトが<スクールメイツ募集>のはがきを持ってきたのです。当時は華のアイドル時代であり、太田さんもジュリー(沢田研二さん)の大ファン。

そうです。太田さんはジュリーに会いたくて…軽い気持ちで芸能界入りを志したのです。結果は、音楽的センスや歌唱力、ルックスが認められて、見事にスクールメイツのオーディションに合格。

この事がきっかけとなり、渡辺プロの東京音楽学院に入学、同期生には元・キャンディーズの伊藤蘭さん、田中好子さんがいました。

1972年11月、NHKの音楽番組「ステージ101」のレギュラーグループである「ヤング101」のメンバーで活躍。

更に1973年12月には、オーディション番組「スター・オン・ステージ あなたならOK!」(NETテレビ)に出演され見事優勝されました。

渡辺プロの新人として、西銀座のライブハウス「メイツ」でピアノの弾き語りを披露される様になりました。

昭和のアイドル歌手、太田裕美さんが誕生した瞬間でした。


太田裕美・デビュー曲「雨だれ」キャッチフレーズは?

可愛いルックスと、抜群の歌唱力を併せ持つ太田裕美さん。オーディション合格後は、一気にデビューが決まり、1974年「雨だれ」でデビューされました。当時19歳でした。

可愛い太田裕美さんが、ピアノを弾きながら透明感のある声で歌う姿は、瞬く間に人気を集めました。

デビュー当時のキャッチフレーズは「まごころ弾き語り」です。太田裕美さんにぴったりのキャッチフレーズですね。当時は、昭和歌謡全盛期で、「ヤング歌の祭典」を筆頭にTV出演に引っ張りだこ。

そんな中でリリースした2枚目のシングル「たんぽぽ」や3枚目のシングル「夕焼け」もスマッシュヒット!!それもそのはず、作詞/松本隆さん:作曲/筒美京平さんの昭和歌謡を代表するゴールデンコンビだったのです。

徐々に、トップスターへの階段が見えてきた頃でした。




太田裕美・大ヒット曲・代表曲「木綿のハンカチーフ」紅白歌合戦に出場、シングル売り上げは?

19歳でデビューし、ピアノの弾き語りなどで日本中の注目を集めた太田裕美さん。

1975年12月21日、いよいよ運命の大ヒット曲「木綿のハンカチーフ」をリリース。もちろん、作詞作曲は太田さんをデビュー時から支えている、松本隆さんと筒美京平さんの2人です。運命のイントロが流れた瞬間でした。

今現在までの累計売上枚数は、150万枚以上!!(ミュージックリサーチ社)

太田さんの清涼感ある歌声に、松本隆さんの描く「男女の切ない往復書簡物語」。

これに稀代のヒットメイカー筒美京平のポップ・センスが加わった曲は、一気にヒットチャートを駆け上り、1976年のオリコンチャート週間2位、年間4位を記録しています。

ちなみにこの年の年間1位は、子門真人さんが歌う「およげ!たいやきくん」です。

同時に、太田裕美さんの名前は、一気に日本中に知れ渡りました。

トップスターの仲間入りを果たした太田さんは、翌年から5年連続で「紅白歌合戦」に出場します。以下の曲が紅白で歌った曲です。
①1976年/木綿のハンカチーフ
②1977年/九月の雨
③1978年/ドール
④1979年/シングル・ガール
⑤1980年/南風 – SOUTH WIND

華々しい出演者の中でも、一際目立つ太田裕美さん。また「木綿のハンカチーフ」以外のシングル売り上げでは、

・赤いハイヒール48.7万枚・九月の雨35.6万枚・しあわせ未満31.0万枚・最後の一葉30.6万枚が上位となっています。まさに、一時代を築き、人生の頂点を謳歌していたのです。




太田裕美・単身ニューヨークへ~帰国後に結婚・出産~

時代の寵児となった太田裕美さんでしたが、82年に「木綿を卒業したい…。」という理由からニューヨークへの留学を決断します。紅白出場歌手の思いきった行動には、日本中が驚きました。

しかし、ファン想いの彼女は8か月後に帰国し、再び元気な姿を見せてくれたのです。このときに、初めて自身で作曲した「満月の夜、君んちへ行ったよ」と「青い実の瞳」を発表します。シンガーソングライターへの道を、1歩踏み出したのです。

この後も、シンガーソングライターとして活躍するだろうと思っていた矢先、再び太田裕美さんは日本中を驚かせます。当時、自身の音楽プロデューサーであった福岡智彦さんとの結婚を発表するのです。交際からわずか7ヵ月、当時30歳のことでした。

太田さんは結婚後、すぐに長男と次男を出産します。出産後は育児に奮闘しながら、マイペースで音楽活動を継続。当時の心境をこう振り返っています。

「育児に手がかかるうちは、子どもに聞かせる童謡アルバムを制作したり、ほかの歌手に楽曲を提供したりして、自分のペースで音楽活動を続けていました。次男が幼稚園に入って、自分の時間が持てるようになり、『ライブがしたい』と思うようになったんです。」

引用:女性自身

ライブがしたい…。太田さん、41歳の時でした。


太田裕美・音楽活動の再開、ラジオ、CMは?

育児が一段落した太田裕美さんは、精力的に音楽活動に取り組みます。

1996年4月2日よりライブ活動を開始、1998年にはミニアルバム「魂のピリオド」をリリースしました。

またラジオ、CMなどでも多く活躍されています。

・ラジオ/太田裕美の電リク歌のデリバリー(RFラジオ日本)
・CM/トヨタ自動車「ターセル」、東京ガス「省エネ」
・CMナレーションや挿入歌/日清紡「SSP」(CMオリジナルソング)、P&G「アリエール」、白元ミセスロイド’97「風立ちぬ」、サントリー「樹氷」CMソング「もしも明日が…。」等々。

しかしながら、音楽活動の復帰当時は心配もあったようです。

こんな言葉も漏らしていました。

「ピアノ一本での弾き語りライブだったので、お客さんが来てくれるか心配でした。でも、すごくたくさんの方が来てくれて。あぁ、待ってくださっていたんだなぁと。」

引用:女性自身

待ちに待ったライブです、ファンは当然駆け付けますよね。

一方で、ライブに行けない地方のファンの方は、NHKやBSの歌番組、連続ドラマ「さくら」などの出演も嬉しかったのではないでしょうか。


太田裕美 乳ガンからの復帰

元気に歌手活動を続けていた太田さんの体に異変がでたのは、2019年でした。レコーディングを終えて、家に帰ると胸に異変を感じたのです。その後に精密検査をすると、乳がんは初期ステージを経過してしまっていました。

内視鏡手術を受けた後、抗がん剤治療を受けることを決めます。抗がん剤治療で1番つらかったのは、「髪の毛」や「まつ毛」が抜けることだったみたいです。現在は病状も安定し、3カ月に1回の定期健診を受けています。

闘病生活を乗り越えた太田裕美さん。現在の心境を次のように語っています。

「先のことより、この一年を生きるのに必死というのが正直な気持ち。積み重ねた分だけ、深みのある歌を歌える歌手になりたいと思っています」

引用:女性自身

この後のコンサートでは、イルカさん、庄野真代さんとのコンサートなど忙しく活動をしています。

太田裕美 脳治療を受け治療に専念、現在活動中止

2024年の今後のコンサートですが、現在公演を中止しています。4月30日にオフィシャルサイトで発表されました。体調を崩されて診療を受けたところ、入院加療が必要となりました。病名は明かされていませんが、最先端の脳治療を受けたと報告されています。

その事について以下の様に語っています。

すでに入院生活も長くなりましたが、覚悟を決めて、今年いっぱいは、周りの人たちに助けてもらいながら治療に専念することにしました。

引用:太田裕美オフィシャルサイト

又2024年11月には、デビュー50周年を迎えられますが、以下の様に語っています。

来年年明けからあらためて、笑顔で務められるよう、今はしっかりと静養に努めたいと考えています。

引用:太田裕美オフィシャルサイト

文章の最後には「日々着実に快方に向かっておりますので、どうかご安心ください」と書かれています。

現在69歳になっても童顔で可愛らしい太田裕美さん。今は治療に専念していただき、又コンサートでお会いできることを願っています。今後も素敵な歌声を多くの人に届けてほしいですね。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。


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