おニャン子 城之内早苗 娘(子供)旦那、若い頃や現在は?「あじさい橋」がヒット!年齢、生い立ちは?新曲はどんな?

女性歌手

こんにちは、タムジーです。

今回は、歌手生活35周年を迎えた演歌歌手、城之内早苗さんをご紹介したいと思います。城之内早苗さんと言えば「おニャン子クラブ」が真っ先に思い浮かぶと思います。

実は彼女は、最初は演歌歌手としてデビューしたいと思っていましたが、いろんな運命の巡り合わせでおニャン子クラブに所属することになったのだとか。

本記事では、そんな城之内早苗さんについて、詳しく解説していきますので、どうぞ最後までお付き合いくださいね。




城之内早苗 生い立ち、家族、歌手になるきっかけは?

それでは、プロフィールからご紹介します。

プロフィール:
名前:城之内早苗(じょうのうちさなえ)
誕生日:1968年5月17日
出身地:茨城県鹿島郡神栖村(現・神栖市)
学歴:明治大学付属中野高校夜間部卒業。
血液型:O型
年齢:2023年12月現在55歳
事務所:個人事務所
ソロデビュー年:1986年

城之内早苗さんの家族構成は、父と母、そして4歳年下の弟がいます。父は地元、神栖市で会社経営をしています。

子どもの頃から民謡と三味線に親しんで育ち、中学2年生の時に
「全日本歌謡選手権」に出場したことが、城之内早苗さんの歌手になるきっかけとなりました。

当初は演歌歌手を目指していましたが、スタッフに薦められて受けたおニャン子クラブのオーディションに合格し、アイドルとしてのステージに進むことになったのです。


城之内早苗 「おニャン子クラブ」デビュー!「あじさい橋」でソロデビュー

会員番号は17番、おニャン子の中でも多くの人気を集めました。

おニャン子クラブでの活動が忙しくなり上京、高校もCBSソニーの寮から明大中野高校夜間部に転入し活動を初めました。

しかし、演歌への思いは強く、一方でアイドルとしての道も歩むこととなり、そのバランスに戸惑いながらも活動を続けていた城之内早苗さんでした。

1986年には念願だった「あじさい橋」で演歌歌手としてもデビューしました。以後、ソロとしての歌手活動を広げていきました。

おにゃん子クラブの解散後も順調な活動を続け、歌手としての成功を収めています。夕焼けにゃんにゃんの終了やグループ解散などの困難にも負けず、コンスタントに作品をリリースし続けています。

歌番組での失敗もあったりしましたが、スタッフの勧めで、ちあきなおみさんのアルバムを聴いたそうです。その歌声に衝撃を受けた城之内さん。スランプだった時期も乗り越え、実力と魅力に変えていったそうです。

しかし、演歌への思いは強く、一方でアイドルとしての道も歩むこととなり、そのバランスに戸惑いながらも活動を続けていた城之内早苗さんでした。

1986年には念願だった「あじさい橋」で演歌歌手としてもデビューしました。以後、ソロとしての歌手活動を広げていきました。

おにゃん子クラブの解散後も順調な活動を続け、歌手としての成功を収めています。夕焼けにゃんにゃんの終了やグループ解散などの困難にも負けず、コンスタントに作品をリリースし続けています。

歌番組での失敗もあったりしましたが、スタッフの勧めで、ちあきなおみさんのアルバムを聴いたそうです。その歌声に衝撃を受けた城之内さん。スランプだった時期も乗り越え、実力と魅力に変えていったそうです。

城之内早苗さんの「あじさい橋」は、演歌としては異例のオリコンチャート初登場1位を獲得した曲です。

演歌でのデビューシングルで、オリコンシングルチャート初登場1位は非常に珍しい事で、城之内早苗さんはそれを成し遂げた、唯一の演歌歌手なのです。

演歌と言っても、かつての小柳ルミ子の「わたしの城下町」のような叙情歌謡のスタイルが取られています。
ちなみに、「あじさい橋」を提供した秋元康氏の作詞と見岳章氏の作曲は、この2年後に美空ひばりの「川の流れのように」を
生み出すコンビとして知られています。

歌詞のテーマは演歌らしいものですが、「あじさい橋」はメロディとアレンジが洗練された歌謡ポップスと言えるでしょう。


城之内早苗 旦那さんはどんな人?

城之内早苗さんの夫は木村忠寛さんで、2004年12月に二人は結婚しました。結婚時、城之内早苗さんは36歳であり、一方の木村忠寛さんはなんと52歳でした。

16歳もの年齢差を超え、木村忠寛さんは城之内早苗さんの心を射止めたのです。

彼は獨協大学を卒業。その後、フジテレビに入社し、「夕やけニャンニャン」のディレクターや「ものまね王座決定戦」のプロデューサーとして大成功を収めた方です。テレビ業界で大きく注目を浴びる存在となりました。

その後も、「新春かくし芸大会」や「おそく起きた朝は・・・」などの看板番組を担当する一方、長崎のハウステンボスにおける
ライド型VRアトラクションのプロデューサーを務めるなど、
木村忠寛さんは幅広い才能を遺憾なく発揮し続けています。


城之内早苗 子どもは?娘はいるの?

結婚当時、城之内早苗さんは36歳でしたので、高齢出産ではありますが出産も可能な年齢でした。しかし、2人の間には子どもは生まれていません。また、検索キーワードに娘とありますが、子どもはおりませんので娘もいませんね。

子どもを授からなかった理由については具体的には分かりませんが、城之内早苗さんは、おニャン子時代から木村忠寛さんを知っており、お互いの性格や気質を理解し合っていることから、子どもがいなくても結婚生活が円滑に進んでいる様子が伺えます。


城之内早苗 目標は「紅白歌合戦」への出場、受賞歴は?

演歌歌手として数々の成功を収める城之内早苗さんですが、
一つの大きな目標があります。それは「紅白歌合戦」に出場することです。

城之内さんは1986年にデビュー曲「あじさい橋」で演歌界において初のオリコン1位を獲得し、この記録は2023年現在も破られていません。37年にわたりトップの座を保ち続ける快挙として注目されています。

一方で、城之内早苗さんはこれまでNHK紅白歌合戦に一度も出場していません。紅白歌合戦においては演歌歌手の出演枠が確保されているため、この不参加は少し意外に感じられる方も多いと思います。

一説によると、城之内早苗さんが所属していたおニャン子クラブの番組が当時、フジテレビで放送されていたことが原因ではないかと噂されています。

フジテレビで成功を収めた歌手が他の局に出演することが不自然だとの考えから、紅白歌合戦に出演しなかった可能性があるとされています。

また、病気に関しても調べてみましたが見当たらず、健康的な生活をされている様子です。

それではここで、彼女の受賞歴をご紹介します。

[受賞歴]
1994年 第27回日本有線大賞有線音楽優秀賞(楽曲「酔わせてよ今夜だけ」)


2012年度 「藤田まさと賞」受賞(楽曲「松山しぐれ」)
2016年度 日本作曲家協会音楽祭2016 ベストカラオケ賞 受賞(楽曲「おちょこ鶴」)
2016年度 第58回日本レコード大賞「日本作曲家協会選奨」受賞

となっています。特に森高千里さんが作詞作曲した、名曲でもある「酔わせてよ今夜だけ」は、何回聞いても、素晴らしい名曲ですね。

次に城之内早苗さんの現在の活動をご紹介しますね。


城之内早苗 現在の活動は?最新曲は「しあわせワルツ」

現在アイドルから卒業後、城之内早苗さんは演歌歌手としての道を着実に歩んでいます。
2023年時点で歌手としてのキャリアはなんと37年になります。

2022年には新たなステージとして、レコード会社を移籍し
「しあわせワルツ」をリリースしました。この活動により、
全国を巡るリリースイベントや、CD購入者を対象としたミニライブやお話会など積極的なファン交流イベントも展開しています。

城之内さんは幼少期から民謡や三味線に親しんでおり、
演歌に対する情熱を長い年月捧げ続けている様子が伺えますね。

最新曲は、2022年1月26日リリースの「しあわせワルツ」です。「しあわせワルツ」は、作詞たかたかし氏、作曲は、三木たかし先生が手がけた作品です。

城之内早苗さんにとって「しあわせワルツ」がたかたかし氏の初めて提供される楽曲になります。

この「しあわせワルツ」は、雨が降るたびに思い出される、忘れられない昔の恋に心を馳せる女性の心情を描いています。
城之内早苗さんのぬくもりに満ちた歌声が、じんわりと心を温かく包み込む感動的な楽曲です。

カップリング曲「こころの手紙」も、楽曲提供者である伊藤薫氏によるバラード曲です。この曲では、愛する人に先立たれた女性が、亡くなった男性への思いを綴った、切なくも心温まる前向きなラブバラードとなっています。

いかがでしたでしょうか?演歌歌手として類まれなる才能をお持ちの城之内早苗さん。これからも彼女の活躍を応援していきたいと思います。

本日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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