こんにちは、タムジーです。
今回は、紅白歌合戦の常連、演歌の大御所でもある坂本冬美さんをご紹介したいと思います。演歌だけでなく、以前に忌野清志郎さんとユニットを組んだり、紅白でセーラームーンをやったり、色々な事にも挑戦されていますね。
そんな坂本冬美さんの結婚、旦那の事も含め若い頃から現在まで詳しくご紹介したいと思います。
是非最後までお付き合いくださいね。
坂本冬美 プロフィール、家族構成、幼少期は?
それでは、プロフィールからご紹介します。
プロフィール:
名前:坂本冬美
生年月日:1967年3月30日
身長:160cm
血液型:O型
出身地:和歌山県西牟婁郡上富田町
学歴:和歌山県立熊野高等学校卒業
年齢:2023年12月現在56歳
所属:ティアンドケイ・ミュージック
坂本冬美さんの家族構成は、父と母、姉と弟の5人家族です。
父親は、漁師や狩人、土木作業員などをして働いていました。いわゆる「出稼ぎ」を生業としていたのです。ですので、坂本さんの幼少期に家にいることは、ほとんどありませんでした。
そのせいか、母親は躾に厳しい人だったようです。坂本さんが、何か悪い事をすると「お仕置き」として、押し入れに閉じ込めたり、ガラスの灰皿を万歳ポーズでずっと持たされたり…。
きっと、坂本さんは「おてんば娘」だったから、たくさん怒られたのでしょう。
なぜなら、坂本さんが好んだ遊びは、男の子顔負け。ビー玉やめんこ、缶蹴り、陣取り、秘密基地作りなど…。日が暮れるまで、元気に遊んでいたそうです。
また父は、後年1997年の事、車ごと海に転落してしまい海中から引き揚げられた車の中から発見されました。55歳の若さで他界されています。
坂本冬美 歌手デビューのきっかけは?
坂本さんが歌手を意識したのは、小学5年生のとき。テレビで石川さゆりさんが「津軽海峡・冬景色」歌っていたのを見て、憧れを抱いたのです。
歌手への憧れはありましたが、中学時代はソフトボール部に所属。学級委員にも立候補し、クラスのまとめ役にもなりました。
しかし、勝ち気で男勝りな性格が災いしたのか、クラスメイトとの喧嘩もよくあったそうです。
そんな楽しい中学時代を終えて高校生になると、「歌手」への憧れが再燃します。はっきりと夢を見据えた坂本さんは、「カラオケセット」を購入し毎日、独学で歌の練習に取り組んだのです。
高校卒業後は大阪市や和歌山県で会社員として働きます。
理由は「両親に迷惑をかけたくないから」自分が働いて一人立ちすることが、親孝行と考えたのです。
それと同時に、自分の夢にも向き合っていました。働きながら、「カラオケ教室」に通ったのです。
歌の練習をしながら、様々なコンテストに挑戦を続ける日々。
なかなか結果が伴わず、「これが最後のチャンス。」と決めたのが、NHK『和歌山県・勝ち抜き歌謡天国』のエントリーでした。
結果は見事に優勝!そして、勝ち抜きのネクストステージ、
「関西演歌大賞カラオケコンクール」でも優勝したのです。
そして、この大会での歌唱力が評価され、1987年のCDデビューが決定したのでした。
坂本冬美 デビュー曲は「あばれ太鼓」
坂本さんは、1987年3月4日「あばれ太鼓」で、デビューを果たしました。あばれ太鼓は新人の演歌シングルであるにも関わらず、オリコン19位の23万枚の大ヒットとなりました。
しかし、デビュー曲決定までの道のりは、幾多の紆余曲折があり、苦難の連続だったのです。
今でこそ、作曲をしてくれた猪俣公章さんには、「素敵な曲をありがとうございます。」と、感謝しかない坂本さんですが、デビュー当時は19歳、何度も猪俣さんとぶつかったそうです。
当時は生意気盛りで、世の中のことを何ひとつわかっていませんでした。猪俣先生に「デビュー曲はあばれ太鼓にする!」と言われた瞬間、<うわっ、ダサい…>と思ってしまいました…。」
石川さゆりさんのような華麗な女歌に憧れていた坂本さんですから、無理もなかったのかもしれませんね。
しかし、「ダサい。」と思ったことを、そのまま口にしてしまうのが、坂本さんの長所であり、短所……。
あろうことか、猪俣公章さんに正直に伝えてしまったのです。
「先生、これは流行らないと思います。」引用:Smart FLASH
まだデビュー前の新人がです。これには、猪俣公章さんも大激怒!!
「バカやろう!新人が流行るとか、流行らないとか言うのは、100年早い!」引用:Smart FLASH
と、怒られたそうです。
なにはともあれ、大ヒットした「あばれ太鼓」は、第29回日本レコード大賞新人賞と第20回日本有線大賞最優秀新人賞を受賞。
大物作曲家と新人歌手は、見事博打に勝ったのでした。
坂本冬美 ヒット曲、代表曲、紅白出場でムーンライト伝説を歌う
まさに、演歌界に突如現れた、大型新人の坂本さん。ここからは、破竹の勢いでヒット曲を連発します!主な代表曲は以下の通りです。
2009年01月07日 「また君に恋してる/アジアの海賊」36.5万枚
1988年04月06日 「祝い酒」33.5万枚
1989年03月08日 「男の情話」28.1万枚
1987年03月04日 「あばれ太鼓」23.5万枚
1990年05月09日 「能登はいらんかいね」22.7万枚
さらに、紅白歌合戦への出場も2002年を除いては、1988年の「祝い酒」以降、全てに出場しています。
1993年の紅白では、「美少女戦士セーラームーン」のコスプレで、森口博子・西田ひかるさんと共に「ムーンライト伝説」を歌われています。アイドルの西田さん、森口さんに負けないくらい可愛かったですね。
紅白出場回数は、2023年の出場を含めると、全35回となります。
まさに、演歌界の大御所、日本の大晦日の顔です。
坂本冬美 HIS(ヒズ、エイチ・アイ・エス)とは?
HIS(ヒズ)は、1991年に細野晴臣、忌野清志郎、坂本冬美さんの3人で構成された音楽ユニットです。コスチュームもセーラー服と学ランでした。
アルバム1枚、シングルも「夜空の誓い」「日本の人」の2枚が発売されました。
その後活動はなかったのですが、2005年に14年ぶりに坂本冬美さん名義でシングル「Oh, My Love ~ラジオから愛のうた~」をリリース。2006年3月には「音楽・夢くらぶ」NHKで、HISで出演、演奏されています。
坂本冬美 結婚、旦那、子供は?
坂本冬美さんの結婚に関しては、様々な情報を調べましたが、結婚歴がみつかりませんでした。現在も旦那さんや子供もいない様子ですね。
結婚願望については、2022年の3月にNHKの恋愛トーク番組「密会レストラン」に出演されたときに、20代後半から30代頃に強く思っていたと話されています。
過去に10年ほど付き合っていた事がありましたが、現在は好きな人もいないと告白されています。超多忙の時期が続き、その中でのお付き合いも難しく、結婚観も薄れた様子です。
坂本冬美 母、弟死去、2024年近況、今後の活動は?
坂本さんは、2022年6月25日に最愛の母が死去された事を、オフィシャルブログ「冬美便り」で報告されています。
6月25日に、入院中だった母の容態が急変し、帰らぬ人となりました。引用:オフィシャルブログ「冬美便り」
また、母を病気で亡くされた3か月後には、母の看病もされていた弟さんにガンが見つかり2023年8月、治療に専念されましたが55歳で他界されています。姉とは現在も、頻繁に連絡を取り合っている様子です。
悲しい出来事が続いた坂本さんですが、今後も歌手軸に活動していくことでしょう。
年明けには、NHK BSプレミアムの「演歌フェス2023」(第1部・第2部)に出演。
新年早々、テレビで坂本さんを楽しむことができます。
また、「いいや。TVじゃ物足りないっ!リアルで会いたい!」という人は、こちらです。
「坂本冬美コンサート」
〇サンシティ越谷市民ホール(大ホール)/2024年1月25日 13:00~
〇日本特殊陶業市民会館フォレストホール/2024年2月25日 14:30~
〇岡山市民会館/2024年3月2日 14:00~
〇アクリエひめじ(大ホール)2024年3月3日 14:00~
〇町田市民ホール/2024年3月9日 13:00~ 17:00~
〇東京エレクトロンホール宮城/2024年6月3日 14:00~ 18:00~
年明け早々、ファンにとっては、楽しみな日々が続きますね。
いつまでも、若々しく色気がある、坂本さん。
美人でスタイルが良く歌が上手い。老若男女問わずに人気があるのも頷けます。今後も、今まで以上に活躍してくれることでしょう。いつまでも元気で、歌声を聞かせてほしいですね。
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