今回は、赤い鳥・ハイ・ファイ・セットで活躍され、ソロシンガーとなった山本潤子さんを、ご紹介していきます。
代表曲、ヒット曲や解散後、ソロでの活躍まで、追ってみたいと思いますので、どうぞ最後までお付き合い下さいね。
山本潤子 現在:赤い鳥から「ハイ・ファイ・セット」結成・結婚はいつ?
生年月日:1949年12月30日
出生地:奈良県吉野郡天川村
出身地:大阪府大阪市阿倍野区
4人姉妹の末っ子で、高校時代からピーター・ポール&マリー
(1960年代アメリカの人気フォークグループ)のコピーバンドを結成し活動をしていました。
1969年には後藤悦治郎、平山泰代、山本俊彦、大川茂とともに「赤い鳥」に参加。「人生」でメジャーデビューを果たしました。
なお、赤い鳥に関してはコチラで詳しくご紹介しています。
赤い鳥ではボーカルを務め、1971年に発表したシングルレコード「竹田の子守唄・翼をください」が大ヒット、一躍有名になりました。
1973年4月には、メンバーである山本俊彦さんと結婚。
1974年9月に赤い鳥は解散となりましたが、1か月後には夫の山本俊彦さん、赤い鳥メンバーの大川茂さんと共に「ハイ・ファイ・セット」を結成されました。
グループ名は細野 晴臣(ほその はるおみ)さんが提案。
1978年に坂本龍一さんとイエロー・マジック・オーケストラ (Y.M.O.)を結成された方です。
山本潤子 現在:ユーミンの楽曲や代表曲、ヒット曲は?
1975年2月5日、荒井由実の楽曲提供により「卒業写真」でデビュー。
シングルと同名のアルバム「卒業写真」が同時発売されました。
他にも荒井由実さんの曲で、シングル発売された曲は、
「スカイレストラン」「冷たい雨」「幸せになるため」などで、ユーミンの歌をヒットさせました。
卒業写真はユーミンも、1975年6月20日発売のアルバム「COBALT HOUR」で、セルフカバーしています。
この曲の歌詞は、卒業後のことを歌っていますが、卒業ソングの定番曲として有名になりました。
1984年10月25日 にはアルバム「Hi-fi Set Sings Yuming」が発売されました。
このアルバムは、ユーミンから提供された楽曲とカバー曲のみが収録されています。
1977年にはシングル「フィーリング」が大ヒットとなり、
1977年2月5日、3枚目のアルバム「ラブ・コレクション」に収録され、オリコン・アルバム・チャート1位を獲得し、
11週間も1位となり、ハイ・ファイ・セットの代表曲と言っても良いでしょう。
この曲はブラジルのモーリスアルバートさんの曲「Feelings」のカバー曲です。
1975年アメリカ、ビルボード誌のチャートでトップ10入りし、
1975年11月13日には、アメリカレコード協会 (RIAA) からゴールドディスクを授与された曲です。
又、山本潤子さんが歌うフィーリングは、なかにし礼さんが歌詞を付けた曲です。
フィーリングのヒットにより、1977年の第28回NHK紅白歌合戦にも、出場を果たしています。
スカイレストラン・フィーリングは、山本潤子さんの美しい歌声や、ハーモニーが素晴らしく、
何度聴いても良いです。心に沁みる名曲ですね。
卒業写真は、昔あの頃の記憶がよみがえり、青春時代を思い出します。
山本潤子 現在:小田和正の楽曲は?ハイ・ファイ・セット解散理由は?ソロシンガーでの活動は?
1980年に活動停止しますが、1年後に活動再開しています。
1984年1月21日には20枚目のシングル「素直になりたい」を発表。シチズンのCMソングとして使用されヒットしています。
1991年4月25日に、28枚目のシングル「忘れないわ」は、
小田和正さんの楽曲で、ハイ・ファイ・セットでは最後に発表されたシングル曲となりました。
この曲は、オフコースを思い出させるような曲で、
小田和正さんらしい、素敵なメロディーラインです。
その後、1992年に再び活動を休止して、94年9月に解散となりました。解散理由は調べましたが分かりませんでした。
ハイ・ファイ・セット解散後、1994年10月にアルバム「JUNKO YAMAMOTO」でソロデビューを果たします。
1995年~1996年には小田和正コンサートツアーにメインコーラスとして参加。
1996年8月には、中野サンプラザで行われた、荒井由実コンサートにゲスト参加をしています。
また国民的名曲となった「翼をください」は、1997年 サッカー日本代表チーム応援歌となりました。
これが話題となり「ニュースステーション」(テレビ朝日)に出演しています。
山本潤子 現在:夫は?娘さんは?無期限休養を報告
山本潤子さんはソロでの活動を続けていましたが、
2014年2月23日に行ったコンサートや自身のブログで、声の不調を理由に無期限休養に入ることを報告しています。
夫の山本俊彦さんは、ハイ・ファイ・セット解散後、音楽プロデューサーとして活動していましたが、
2014年3月28日、世田谷区内の自宅2階で倒れているのを妻の山本潤子さんが発見しました。
救急隊員が到着しましたが、その場で死亡が確認されました。
死因は虚血性心不全で享年67歳でした。
声の不調とパートナーを亡くした精神的なショックは大きなものとおもわれます。
また山本潤子さんは、2人の娘さんがおります。娘さんと、翼をくださいについてのエピソードがあります。
ソロになってから、一人で活動することに不安と行き詰まりを感じていた時に起きた事。
小学生の娘がリコーダー(縦笛)で吹いていたのが、翼をください。20年前に歌った曲との思わぬ再会だった。
なぜこの曲を知っているのか、山本潤子は嬉しい驚きを覚えるのと同時に「学校で習ってきたって言われ、この曲こんな所まで浸透しているんだっていうか、改めてビックリしました」
引用:asahi.com
以前、赤い鳥時代からのヒット曲を封印していた時があり、これをきっかけに山本潤子さんは、精力的に活動を再開していたという。
現在も活動は、無期限休養中で再開は発表されていません。
またあの素敵な声が聴けるまで、ずっと待ちたいと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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