こんにちはタムジーです!
みなさんは、赤い鳥をご存知でしょうか?
代表曲でもある「翼をください」を歌った、フォークグループの赤い鳥です。今回は、赤い鳥のデビュー前から解散まで、詳しくご紹介したいと思います。
是非最後までお付き合いくださいませ。
赤い鳥 メンバーや活動期間は?グループ名の由来、結成のきっかけは?
まずはメンバー紹介です。ここでは解散時のメンバーをご紹介します。
・平山泰代(ボーカル、ピアノ)1947年3月28日 広島県広島市
・山本俊彦(ギター)1947年2月23日~2014年3月27日(67歳没)大阪府大阪市
・山本潤子(旧姓、新居潤子・ボーカル、ギター) 1949年12月30日 大阪府大阪市
・大川茂(ベース)1945年9月6日 三重県
・渡辺俊幸(ドラム、キーボード)1955年2月3日 愛知県
赤い鳥の活動期間は、1967年~1974年9月です。
赤い鳥のグループ名の由来は、1917年(大正6年)に発刊された鈴木三重吉さんの児童雑誌「赤い鳥」からとったものです。
1967年に結成された当時は、後藤悦治郎さん、平山泰代さんのデュオで、主に日本民謡などを歌っていました。
山本俊彦さん、新居潤子(後に山本潤子となる)さんは、アマチュアコンサートで一緒になった時に後藤悦治郎さんに誘われ赤い鳥のメンバーになっています。
山本さん新居さんは、元アリスの谷村新司さんとコーラスグループで活動をされていた方です。1969年6月に大川茂さんが赤い鳥に参加し、ここに2人から5人グループの赤い鳥が再結成されました。
また、ドラム・キーボードの渡辺俊幸さんは結成後期に参加された方です。赤い鳥の歌は、ハーモニーやコーラスがとても美しく感動するばかりです。
赤い鳥 シングル「人生/赤い花白い花」でメジャーデビュー
1969年11月、第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出場され「竹田の子守唄」などを披露、フォーク・ミュージック部門で1位入賞、総合ではグランプリに輝いています。
参加グループの中には後に人気グループとなるチューリップ、オフコースも参加されていました。
「竹田の子守唄」は1969年10月1日に「お父帰れや」のカップリング曲として、アングラ・レコード・クラブ(インディーズレーベル)より既に1枚目のシングルとして、デビュー前に発売されています。
その後、1970年4月にロンドンにてレコーディングされ、
1970年6月には2枚目のシングル「人生/赤い花白い花」、
アルバム「FLY WITH THE RED BIRDS」でメジャーデビューしました。
1970年9月25日 3枚目のシングル「誰のために/ 小さな歴史」を発売。同年10月5日には、2枚目のアルバム「RED BIRDS」を発売されました。
シングル「人生」のカップリング曲「赤い花白い花」は、山本潤子(旧姓:新居潤子)さんがボーカルで、歌唱力もあり、とても美しく心に染みわたる歌声です。
是非とも聞いてほしい1曲です。
赤い鳥 代表曲は「翼をください」「竹田の子守唄」、山本俊彦・新居潤子が結婚
赤い鳥は、合歓ポピュラーフェスティバル’70に出場し「翼をください」で新人奨励賞を受賞しています。
1971年2月5日には、4枚目のシングル「竹田の子守唄/ 翼をください」が発売されました。このシングルは、発売3年で100万枚を突破、代表曲となりました。
竹田の子守唄は、初のメジャーでの発売、翼をくださいは、カップリング曲だったのですね。
また「翼をください」は、教科書にも掲載され、合唱曲としても有名となりました。
2008年2月のasahi.comでは、次の様に掲載されています。
教育芸術社では、赤い鳥解散2年後の76年から高校、78年からは中学、96年以降は小学校、それぞれの教科書に掲載している。教科書に掲載されるポップスの多くが短命な中、30年以上も掲載されている曲は珍しい。
出典:asahi.com
山本潤子(旧姓:新居潤子)さんも、世代を超えて歌い継がれている事を、肌で感じていると語っています。
スケールの大きさを感じさせるこの曲は、自身もギターで何度も弾いた事があります。一生忘れられない曲ですね。
なお、メンバーの山本俊彦さん新居潤子さんは、1973年4月にめでたく結婚されています。
赤い鳥:CMソングは?ライブコンサート、アルバムは?解散理由は?
その後も、忘れていた朝、河、紙風船など多くのヒット曲を残しています。
CMソングでも多数参加されています。中でも以下のものが深く印象に残っています。
1971年・コカ・コーラのCM、「THE REAL LIFE」を歌唱。
シングル曲「紙風船」は、旧国鉄のCM や、グリコ「プリッツ」のCMでタイアップされました。特にグリコ「プリッツ」のCMでは、出演もされていました。
コンサートでは1973年10月に、文京公会堂で行われた「ミリオン・ピープル〜赤い鳥コンサート」が実況録音され、2枚組みのLPとして12月25日に発売されています。
1974年7月にはラスト・アルバム「書簡集」を発売。
1974年9月に赤い鳥解散コンサート・TVKヤングインパルス にて行われました。
ヤングインパルスは、テレビ神奈川で放送されていた音楽番組で、生放送のスタジオライブを中心に当時の、フォーク、ロック、ニューミュージックのアーティストが多く出演していた番組です。
赤い鳥は、音楽の路線上の違いがあり、解散コンサートの行われた1974年9月、解散となりました。
「日本の伝承歌と、ポップなコーラス、二つのバランスがとりにくくなった」という、メンバー間の音楽性の違いを理由に解散。
引用:hiroshima-fm
赤い鳥:解散後、結婚は?フォークデュオ「紙ふうせん」・コーラスグループ「ハイ・ファイ・セット」Hi-Fi Set
赤い鳥解散後は、1974年2月に後藤悦治郎さんと平山泰代さんが結婚されています。同年、夫婦でフォークデュオ「紙ふうせん」を結成しました。
1977年8月21日・7枚目のシングル「冬が来る前に」は大ヒット曲となりミリオンセラーを記録しています。
現在も関西を中心にコンサート活動などで活躍されています。
既に1973年4月に結婚されている、山本俊彦さん山本潤子さんは、1974年10月、赤い鳥メンバーの大川茂さんと3人で、
コーラスグループ「ハイ・ファイ・セット」 (Hi-Fi Set)を結成されました。
1975年2月5日、荒井由実(現:松任谷由実)さんの曲「卒業写真」をリリース、ハイ・ファイ・セットの名曲ですね。また、ユーミンが自身でもリリースし大ヒットとなりました。
今でも卒業式の定番ソングとして歌われる名曲です。
渡辺俊幸さんは、「ハミング・バード」を結成しましたが短期間で解散しました。
後に、さだまさしさんの「グレープ」で、サポートをされていましたが、さだまさしさんがソロとなり、その後は専属の音楽プロデューサー、編曲を担当されています。
70年代を中心に活躍された赤い鳥、中でも翼をください・竹田の子守唄・紙風船は、ハーモニーやコーラスが素晴らしく、忘れられない曲です。
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