シモンズ 玉井タエ・田中ユミ 今現在どうしてる?デビューのきっかけ、出身地、名前の由来は? 結婚・離婚・再婚は?CMはチェルシー!

フォークソング
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こんにちは、昭和芸能好きのタムジーです。

今回は、昭和の歌手で女性フォークデュオ「シモンズ」についてご紹介します。

シモンズの歌声は、透明感があり、とても綺麗なハーモニーで、解散した現在でもファンの心をとらえ続けています。

この記事では、シモンズのヒット曲、メンバーのプロフィール、デビューのきっかけ、結婚や現在の活動などについてもご紹介します。

是非最後まで、お付き合い下さいね。

シモンズ・デビューのきっかけ、名前の由来、活動期間は?ヒット曲「恋人もいないのに」「ひとつぶの涙」は?CMソング「明治チェルシーの唄」は?

シモンズとは、女性のフォークデュオです。メンバーは、田中ユミ、玉井タエの2名です。

2人は、もともとギターを片手に、アマチュア活動をしていました。1971年の毎日放送で開かれた「ヤングタウン」のオーディション番組で見事優勝。女性デュオ「シモンズ」が誕生しました。そこからは、とんとん拍子でレコードデビューを果たしています。

活動期間は、1971年~1974年です。意外と短い期間ですね。しかし、当時はかなりの人気を誇りました。

ちなみにシモンズの名前の由来は、サイモン&ガーファンクルの「SIMON」をローマ字読みしたものです。

シモンズのデビュー曲ですが、代表曲でもある「恋人もいないのに」は大ヒット曲で、60万枚以上を売り上げ 、1971年の第13回レコード大賞、新人賞を受賞しています。

歌い出しの「恋人もいないのに〜♫」は、一際心に深く残るフレーズで、爽やかで、透き通る様な美しいハーモニーは、今でも忘れられません。

ちなみにこの年第13回レコード大賞では、1971年新人賞では南沙織「17歳」が受賞。最優秀新人賞には、小柳ルミ子「私の城下町」が受賞しています。

又フォークソングでは、作詩賞 に「戦争を知らない子供たち」ジローズが、受賞しています。

シモンズのヒット曲には、多くの有名人たちが参加していて元 五つの赤い風船の西岡たかしさん、そして元アリスの谷村新司さんや元ジローズの杉田二郎さん、

さらに元フォーク・クルセダーズの北山修さんなども、曲に携わっています。

シモンズの良さは、何といっても爽やかさです。日本人女性の持つやさしさと、控えめな動作を感じさせられるのです。

どの曲をきいてもそれは伝わって来るのです。あるがままの感情を、ごくごく自然に歌っているような感じがしますね。

それとシモンズの2人は、歌手、タレントと言うよりも普通の女性のイメージが強く、休日に喫茶店などで、おしゃべりに夢中になって話している様なイメージがあります。

そんなところが聴いている私たちに、何となく親近感もわいてくるのではないでしょうか。

さて、それでは少し発売されたシングル盤の曲を上げてみましょう!

《1971年~1974年の4年間の中で発売されたシングル盤でのA面の曲では、以下の通りです。》

1971年:恋人もいないのに・振り向かないで

1972年:おくれて来た少女・ひとつぶの涙・思い出の指輪・ふるさとを見せてあげたい

1973年:若草の雨・恋の悩みは不思議なもの・ここから独りで・幸せ色した貝がら

1974年:取り消してください

1972年発売されたシングルで「ひとつぶの涙」は東京国際音楽祭に出場し第3位に輝いています。

又オリジナルアルバムは、4枚発売されています。

シモンズが歌う代表的なCMソングと言えば、「明治チェルシーの唄」やドイツのお菓子ユーハイムがあります。

特に「明治チェルシーの唄」は格別な完成度、小林亜星さんと、安井かずみさんが生み出した名曲です!

歌の最後「ほら、チェルシー もうひとつ チェルシー」は何時までも脳裏に残る最高なCMソングですね。



シモンズ・現在玉井タエの年齢は?出身地は?結婚は?旦那は誰?離婚は?今の職業は?

玉井タエ(本名、玉井妙子1952年11月26日生まれ)は大阪出身です。

玉井タエは、ハスキーボイスで低音担当で、ファンを魅了しました。

1974年に玉井タエさんが、後藤次利さんとの結婚により活動を休止しこの年に、シモンズは解散となっています。

その後離婚してしまいましたが、後藤次利さんは、東京都品川区出身のベーシストで現在は、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーなどを行っています。

玉井タエさんと離婚後は、木之内みどりさん、1994年には、河合その子さんと3度目の結婚をして河合その子さんとの間に子供もいる様です。

現在玉井タエさんは、離婚後英語の教員となり活動をしています。

今でも、田中ユミさんとは年に1度は食事しているという噂もありますね!


シモンズ・現在、田中ユミの年齢は?出身地は?結婚は?今の職業は?

田中ユミ(本名、田中由美子1953年1月21日生まれ)は大阪出身です。

田中ユミさんは、美しい伸びのある高音担当で、幼い時期から音楽と向き合い、中学生でテレビ番組の歌合戦で優勝の経験もあります。

そして、幼なじみの玉井タエさんとは、15歳の頃からベッツィ&クリスなどのカバー曲をライブで披露していました。1974年のシモンズ解散後は、シンガーソングライターとして活躍されています。

現在田中ユミさんは、当時のマネージャーの北川啓治さんと、結婚しています。

結婚後は、芸名も北川ユミに代え現在も歌手として活躍し

さらに、ラジオ番組のディスクジョッキーやCMソングも100曲以上もてがけています。

2009年12月には、縁あって女優デビューを果たしています。

土曜ワイド劇場 温泉㊙大作戦8(テレビ朝日)や黒木瞳さんの舞台にも出演しています。



シモンズ・現在コンサートは?今後の活動は?画像は?

出演としては、NHK-BS放送でオンエアされた、1996年東京・赤坂BLITZで行われた永遠のフォークソング大集合でも美しい歌声を披露。

2014年には、テレビ東京・名曲ベストヒット1960~1970年代20年間スペシャルに出演、2016年BS朝日・熱唱!昭和フォーク5などにも出演しています。

その後も田中ゆみさんは、ソロシンガーとしてライブハウスを中心にテレビ、ラジオ、イベント、ディナーショーなど多数出演し、精力的に歌手活動を続けています。

持ち前の挑戦力で、ラテンソングも手掛けています。

実際にキューバやペルーを訪ねるなど、リズム と歌声に磨きをかけてきました。

またNHKの出演をきっかけに、 沖縄の楽器 「三線」も手がけています。

近況では「アトリエゆみ」を開き、田中ゆみとしてフォークソング同好会(ライブ)や音楽活動以外では「アトリエゆみ」でパン作りの教室なども開いています。

他にも日本舞踊、フラワークラフト、絵画などもにも力を発揮しています。

又、福祉活動、教会や施設のイベントなどにも積極的に参加、

地域住民との交流も深めています。

活動の拠点として池田市にある 「ア トリエゆみ」では、

地元の人々のコーラ スの練習やギター教室などの音楽活動、

更に、お花やお茶などの文化活動など様々な用途に活用されています。

シモンズの歌声は、ラジオを聞いていた時に流れ、すぐに好きになってしまった覚えがあります。

田中ゆみさんが、音楽活動を続けている間は「恋人もいないのに」のあの爽やかな美しい歌声は、きっとテレビでも見れるでしょう。

今思えばもう50年も前の曲ですが、澄み切った歌声で心が洗われます。

何度聞いても、飽きることのない甘酢ぱい青春の思いでの1曲です。

最後に「恋人もいないのに」がヒットしていた頃に購入した
当時物のプロマイド写真を貼っておきます。茶色くなっていたので修正済です。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。



 

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