白井貴子 若い頃から現在 結婚、旦那(夫)は?代表曲「Chance」名曲、アルバム、コンサート情報は?

女性歌手

こんにちは、タムジーです。

今回は、白井貴子さんを紹介したいと思います。白井貴子さんといえば白井貴子 & CRAZY BOYSを結成され「80年代のロックの女王!」「学園祭クイーン」と呼ばれていました。若い頃は特にかわいかったですね。

この記事では、そんな白井貴子さんの若い頃から現在の活動まで、生い立ち、結婚、旦那さんの事や、代表曲、名曲など含めて徹底解説したいと思います。ぜひ、最後までお付き合いくださいね。




白井貴子 年齢、幼少期、家族構成は?

それでは、プロフィールからご紹介します。

名前:白井貴子(しらいたかこ)
誕生日:1959年1月19日
出身地:神奈川県藤沢市
学歴:フェリス女学院短期大学音楽科卒業
血液型:O型
所属:有限会社ロッド
年齢:2024年1月現在65歳

白井貴子さんは、神奈川県上藤沢市生まれ。2024年1月19日で65歳です。家族構成は、父と母、弟の4人家族ですね。

父は、会社員で転勤族でした。そのため、白井さんは幼少期を神奈川県の藤沢市をはじめ、大阪・福岡・名古屋に1年間ずつ住んだのです。

白井さんは、海や川、森がすぐそばにある自然豊かな環境で育ちました。
特に幼少期は、自然の中で体をたくさん動かして遊んでいたそうです。山菜も好きで、ヨモギやセリ、ミツバなどが好きで、よく摘んでは家に持ち帰っていたとか。
その際は「母が喜ぶだろう。」という想いが、一番だったと語っています。健気で可愛い子どもですね。

そんな幼少期の体験は、大人になった現在も「自然」をテーマに
生きる白井さんの拠り所になっています。

「そういう自然のものを食べると、大地と味覚中枢、身体全体がつながっている感じがする。そういう感覚ってとても大事だと思うんです。」
引用:EcologyOnline

と語っています。自然に囲まれて育つ、素敵な幼少期を過ごされたんですね。


白井貴子 歌手を目指したきっかけ

白井さんは、幼少期の頃から音楽が好きで「ビートルズ」を聴いて育ちました。音楽が身近にある環境だったため、ピアノも3歳から習い始めています。

そのまま大きくなった白井さんは進路を音楽へと定めます。
高校卒業後、フェリス女学院短期大学音楽科へ進学したのです。

この頃から、音楽に夢中になった白井さんは作曲をしたり、バンドを組んだりと精力的に活動します。いわゆる「対バン」や「自主企画ライブ」をこなしていくのです。

そして、少しずつ地元で名前が知られ始めた頃、白井さんの友達がある行動にでます。

CBSソニーレコードの主催するオーディションに、デモテープを応募したのです。当時のことを、白井さんは次のように振り返っています。

「オリジナル曲を作って、知り合ったバンドとライブを開催するようになった頃、友達がデモテープをオーディションに応募してくれたんです。音楽に関わる仕事をしたいとは思っていましたが、まさかシンガーソングライターになるとは思ってもいませんでした。」
引用:三洋化成WEBマガジン

結果は、見事に合格。
Chanceは、思いもかけないところからやってくるのですね。


白井貴子 デビュー曲は「内気なマイ・ボーイ」キャッチフレーズは?

白井貴子さんのデビューは1981年「内気なマイ・ボーイ」でした。
デビュー当時のキャッチフレーズは、
「世界一キュートなシンガーソングライター」

しかし、売れ行きは芳しくなく、徐々に音楽の方向性を「ロック」に変えていきます。白井さん自身も、佐野元春さんのバックコーラスを務めたり、勉強を重ねていきました。4枚目のシングルでは、佐野元春さんの「SOMEDAY」をカバーされています。

知名度も大きくなり、「ライブ総立ちの貴子」や「学園祭の女王」と呼ばれ始めていくのです。

そして、あの代表曲が生まれました。


白井貴子 代表曲は「Chance」ヒット曲、名曲「プリンセスTIFFA」「名前のない愛でもいい」

白井貴子さんの代表曲「Chance」が生まれたのは、CM曲がきっかけでした。当時、人気急上昇中の白井さん。

しかし、人気はあるものの、今一つヒット曲に恵まれなかった彼女にとっては、願ってもない大型タイアップだったのです。

白井さんは、連日のCMの打ち合わせに参加。「ベストテンに入らなければならない…。」というプレッシャーを感じていたようです。試行錯誤した中、生まれた大切な曲「Chance」。

結果は、オリコン最高12位!売上も10.9万枚と、いきなり二桁万枚数を売り上げたのです。

この曲は、白井さんの最大のヒット曲になり、そしてこの一曲のおかげで、ライブへの動員もまたさらに増え、大きな公演を次々に成功させていくことになりました。本人曰く、寝る暇もない状態だったそうです。

そして11枚目のシングル「プリンセスTIFFA」(1985年10月10日リリース)は6.4万枚を売上げ、とても可愛らしいこの曲は、白井さんにとっては2番目に売れた曲です。

また、1994年4月12日~1995年1月31日までの「火曜サスペンス劇場」の13代目の主題歌「名前のない愛でもいい」は白井さんが歌っています。心に染みわたる、色褪せない名曲となりました。


白井貴子 活動休止、結婚、旦那、子供は?

白井貴子さんは「Chance」のヒット後、白井貴子 & CRAZY BOYSというバンド形態での活動へ移行します。

しかし、この頃から、白井さんはミュージシャンならではの
ストレスと戦うことになります。
ビジネスライクの音楽業界。
一方、自分のやりたい音楽。
なかなか、折り合いがつかず、1988年には事務所を辞め、
「CRAZYBOYS」のギター・本田清巳さんと共に渡英したのです。事実上の活動休止でした。

そして、1990年に日本に戻り、活動を再開。本田清巳さんの猛アプローチにより1993年に結婚しました。このとき、白井さんは、

「私たち2人は、結婚という形式に縛られるつもりは無かったけれど、親を安心させたくて。」引用:Wikipedia

とテレビ出演した時に語っています。

どこまでも、両親想いの白井さんなのですね。ちなみに子供に関して調べましたが、現在も2人で生活をしている様子でした。

帰国後は、アコースティックライブやポップス色の強い音楽へと変貌していきます。

また、創作の方法にも変化が生じ、南伊豆の海にも近い森を「マーガレットグラウンド」と名づけて自然と共に創作活動開始したのです。

2006年には、デビュー25周年を迎え、TAKAKO & THE CRAZY BOYSは、18年ぶりに復活しました。

2008年2月6日リリースされたヒットアルバム「地球 -HOSHI-」には、この森で創作された曲が多数収録されています。


白井貴子 アルバム「FLOWER POWER」2024年コンサート、現在の活動は?

現在、白井さんは「農業」に取り組んでいます。オーガニック農業の「相原農場」で指導を受け、大豆を栽培しているのです。その甲斐あって、今は大豆の2代目や3代目が順調に育っています。

同時に、音楽活動も行っています。2023年11月には、白井貴子&THE CRAZY BOYS「FLOWER POWER」のリマスター盤を発売。
「FLOWER POWER」は、1985年原版で<THE CRAZY BOYS>を従えての初のアルバムです。

もちろん、あの名曲「Chance」も収録されています。

そして、このアルバムを引っ提げて、2024年1月20日に、
<KT Zepp Yokohama>にてライブを敢行するのです。公演名は、彼女らしさ全開の「TAKAKO SHIRAI&THE CRAZY BOYS/未来へ咲かそう!
FLOWER POWER 2024~」アルバム「FLOWER POWER」の完全再現LIVE & SDGs カーニバル~です。

自然やSDGを大切にする白井さんらしい公演名ですよね。

アルバム「Flower Power」は、ほんとによい曲ばかりなので、お薦めの1枚です。

白井さんは、今後も「自然」と「音楽」の2本柱を大大切に活動していくでしょう。いつまでも、太陽に照らされた笑顔を見せ続けて欲しいですね。白井さん、ずっと、応援しています。

本日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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