みなさん、こんにちはタムジーです。
今日は、昭和・平成・令和をギター1本で駆け抜けた漢、長渕剛さんを紹介します。
長渕さんといえば、桜島や富士山でオールナイトLIVEをやったり、筋肉が凄かったり…話題が尽きませんよね。
ファンの数だけ、長渕剛像があると思います。「乾杯」を友達の結婚式で歌った、初めてギターで弾いたのが「とんぼ」だったなど思い出はそれぞれです。
今回は、時代を超えて愛される男。長渕剛さんのデビューしたきっかけ、私生活の事など若い頃から現在までをご紹介します。
ぜひ最後までお付き合いくださいね。
長渕剛・若い頃から現在、プロフィール、 家族、小、中学校時代は?
それではプロフィールからご紹介します。
プロフィール:
生年月日:1956年9月7日
本名:長渕剛(ながぶちつよし)
出身地:鹿児島県鹿児島市
身長:175㎝
血液型:A型
所属事務所:オフィス・レン
長渕さんは1956年9月7日生まれで今現在66歳、鹿児島県出身です。家族は父と母、姉の4人で、貧しい家庭で育ちました。
どれぐらい貧しかったかというと、家は隙間風が吹き抜ける木造モルタルの四畳半一間で、両親はお金のことで毎日喧嘩するぐらいでした。
長渕さん自身も栄養不足のためか、幼いころから重度の喘息を患っていて、小学校の体育はよく見学していたそうです。
中学時代もバスケ部には入るものの、やはりレギュラー獲得には至らず…。
現在の筋肉ムキムキの長渕さんからは想像もできませんね。
この幼少期の苦い思い出が、アーティスト・長渕剛の「ハングリーさ」や「強さ」の源になっているのかもしれません。
長渕剛・若い頃から現在、高校、大学は?デビューのきっかけはポプコン入賞
長渕剛さんが初めて手にしたギターは、楽器屋さんで買った3000円のギターです。
当時、まだ中学3年生だった長渕さんは、この3000円のギターで毎日練習に没頭しました。
そして、鹿児島南高等学校進学後も練習や作曲に明け暮れた結果、卒業時にはオリジナルの曲が300曲を超えていたそうです。
長渕さんのシンガーソングライターとしての核は、このときに出来上がっていたといえるでしょう。
高校卒業後は、九州産業大学に進学します。
一応、進学という形はとったものの、長渕さんの心は「歌手になる。」ことでいっぱいでした。
いくつもの曲を作り、いくつものステージをこなした長渕さん。
曲のストックができ始めた頃、満を持して福岡アーティストの登竜門であるライブハウス「照和」に通いつめます。
ここで、一躍人気になり、少しづつ「長渕剛」の存在が広がっていくのです。
人前で歌う喜びを知った怖いもの知らずの長渕さん。
20歳のときには、なんと「YAMAHA・ポピュラーソングコンテスト」(ポプコン)で入賞を果たします!
これがプロデビューのきっかけとなるのですが、長渕さんはさらに自らを奮い立たせるため退路を断つのです。
「大学中退」貧乏な中、大学への学費を工面した家族は揺れました…。このとき、長渕さんは父親に思い切り殴られたそうです。
それはそうでしょう。
しかし、それでも長渕さんの夢は燃え上がるばかりでした。
長渕剛・若い頃から現在、デビュー曲は?「順子」が1位
大学中退を決意し、晴れてプロデビューをした長渕剛さん。
しかし、現実は厳しくデビュー曲の「雨の嵐山」は全くヒットせず…。辛酸を舐めることとなりました。
悲惨なことに帰郷するまで追い込まれるのです…。
しかし、当然夢を諦めるなんてことはできずに、苦節2年。
たくさんの曲を作り続け、ボイトレに励んだ長渕さんは、
再びYAMAHAの「ポピュラーソングコンテスト」(ポプコン)に出場するのです。結果は、見事入賞!!
事務所を東芝EMIに変え「巡恋歌」で再デビューを果たしたのです!
オリコンチャートは173位と決して良くはありませんでしたが、
2作目、3作目と徐々に順位を上げていき、1980年の「順子/セレナーデ」で1位を獲得、長渕剛伝説の始まりでした。
長渕剛・若い頃から現在、ヒット曲は?
順子の大ヒットで、一躍有名になった長渕剛さん。
ここからは、まさに飛ぶ鳥落とす勢いで、次々とヒット曲を連発します。
その中には、名曲と言われるものも数多くありました。
数え上げればキリがありませんが、精選して紹介すると、
1987年5月25日 「ろくなもんじゃねえ」 ※TVドラマ『親子ジグザグ』/主題歌
1988年2月5日 「乾杯」 ※キリン「ラガービール」CMソング
1988年10月26日 「とんぼ」 ※TVドラマ『とんぼ』/主題歌
1991年10月25日 「しゃぼん玉」 ※TVドラマ『しゃぼん玉』/主題歌
1993年9月22日 「RUN」 ※TVドラマ『RUN』/主題歌
1995年10月4日 「友よ」 ※TVドラマ『炎の消防隊』/主題歌
2003年5月1日 「しあわせになろうよ」
2009年3月4日 「卒業」
誰もが、一度は聴いたことがあり、一度は口ずさんだことがあるでしょう。
そのときは、懐かしい風景が瞼に浮かび、優しい気持ちになったのではないでしょうか?
長渕さんは、そんな曲を昭和・平成・令和と作り続けたのでした。
また、1990年には「NHK紅白歌合戦」にドイツ・ベルリンからの生中継で初出場を果たします。
当時、中継での出場は紅白史上初めての試みでした。
さらに、「親知らず」「いつかの少年」「乾杯」と3曲もの出演も歴代最長となり、まさに異例づくしの初出場。
年の暮れに、トップスターぶりと長渕剛伝説を国民に見せつけたのでした。
長渕剛・若い頃から現在、結婚、離婚は? 息子、 娘は?
さてそんなトップスター、長渕剛さんの結婚についてご紹介します。
最初の結婚相手は、1981年で人気アイドル歌手の石野真子さんでした。
きっかけは、長渕さんがパーソナリティを務めていたラジオ番組、「オールナイトニッポン」のゲストに石野さんが来たことがきっかけでした。
後に分かったことですが、当時、長渕さんは石野さんの大ファンで、ラジオ構成作家の秋元康さんに「石野さんをゲストで呼んでくれ。」と頼んでいたようです。
この出演がきっかけで、2人は交際し結婚したのでした。
しかし、わずか2年でスピード離婚。
そんな長渕さんが、次に結婚したのは1987年。
お相手は、『親子ゲーム』や『男はつらいよ・幸福の青い鳥』で共演した志穂美悦子さんです。
長渕さんのマンションに出入りする志穂美悦子さんを写真に撮られたり、映画の記者会見で2人の関係を突っ込まれたりするなど、色々ありましたが無事にゴールイン。
その後は、2男1女をもうけ、幸せな家庭を築いています。
長渕剛・現在の活動は?「Concert Tour 2023 OH!」は?
現在、長渕剛さんは「ライブツアー」や「ABEMAスペシャル特番」に出演するなど大忙しです。
昨年は新曲「REBORN」を引っ提げて、最強のバンドと共に【CONCERT TOUR 2022 REBORN with THE BAND】を敢行。
ステージでは、「早くも脱いじゃった。」と自慢の肉体美を披露したかと思えば、熱いコール&レスポンス。
ツアーを通して、会場全体が一つになり、「とんぼ」などを感動的に歌い上げました。
その模様がWOWOWで放送されると、日本中で大反響。
そして、熱いリクエストに応えるかのように、2023年も【Concert Tour 2023 OH!】の開催が決定したのです!!
2023年6月24日より、全国14箇所 20公演で、チケットも間に合うかもしれませんので、長渕さんのファンの方はお早めに!
各種SNSやテレビ、ネットなどの媒体を超えて、常に私たちを楽しませてくれる長渕さん。今後の活躍も目が離せませんね。
今回も最後までお読み頂き、ありがとうございました。
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