あべ静江 若い頃・美人できれい!写真は?ヒット曲「みずいろの手紙」「コーヒーショップで」スキャンダルや交際会見の真相とは?病気は脳梗塞?今後の活動は?阿部静江

女性歌手

みなさん、こんにちは。タムジーです。

今日は、昭和のマドンナ「あべ静江」さんについてご紹介します。昭和世代や歌謡世代の方ならお馴染みの、あべ静江さん。

今なら、「美しすぎる歌姫」や「千年に一人の美女」、「美魔女」などのキャッチフレーズが飛び出しそうです。

それぐらい、当時の男性達の度肝を抜いた美人でした。

当時のあべ静江さんを知る方なら、

「70年代…若い頃のしーちゃんは本当に美人できれいだったなぁ。」
「当時の写真を見ると、令和でも通用すると感じる。」
「上品で色気もあって…。初めてTVを見た時は驚いたよ。」などの感想をもっていると思います。

そこで今回は、あべ静江さんのデビューから現在の活動までをご紹介していきます。

是非、最後までお付き合いください!




あべ静江 若い頃・子役デビュー

あべ静江さんが子役をやっていたことは、一般的には知られていません。
それもそのはず。彼女自身が世間に伏せていたのです。
子役を演じるきっかけとなったのは、あべさんの御両親がきっかけでした。

父は現東海テレビの専属バンドマンで母も専属の歌手だったのです。
芸能界が身近にある環境で育ち、母のラジオ収録などの活動についていくうちに少女歌手と子役をやるようになったのでした。

幼い頃から華やかな俳優さん達に囲まれ、あべ静江さんは沢山の刺激を受けたようです。
当時の様子を振り返って次のように語っています。

佐分利信さんや殿山泰司さん、乙羽信子さんといった名優さんともご一緒しました。

特にドラマタイトルもハッキリ覚えているのは、三ツ矢歌子さんが主演した『春琴抄』ね。

三ツ矢さんが、それはそれは綺麗で凄く憧れたのを覚えてます。ただ、残念ながら、当時はみんな生ドラマだったから、写真は一枚も残ってないんです。

引用:日刊ゲンダイDIGITAL

当時の画像や映像が残っていないのは凄く残念ですね…。
きっと絶世の美少女だったことでしょう!

子役は中学生時代まで続けますが、あまりにも大人びた容姿だったため一度芸能界を引退します。

再び芸能界に戻ったのは、21歳の時でした。




あべ静江 若い頃・デビュー曲「コーヒーショップで」が大ヒット

再デビューのきっかけは、名古屋の短大在学中に演っていた「ラジオDJ」がきっかけでした。

当時のあべ静江さんは、ファンレターが毎日800通も届く人気DJだったのです。

そのため、歌手デビューの依頼が来たのは自然な流れでした。
当初は母と同じ道を行くことに抵抗を示したものの、周囲に説得され再デビューを決意します。

そして、1973年に「コーヒーショップで」で歌手デビューを果たしたのでした。

この曲は、ミディアムテンポの文学的な匂いのする秀作で、上品に歌い上げる彼女にぴったりの曲だったのです。

キャッチフレーズは「フリージアの香り」でした。

なんともあべ静江さんらしいキャッチフレーズですね。

「コーヒーショップで」は、瞬く間に週間チャートの9位にランクインし、同年末の第15回日本レコード大賞で新人賞を受賞します。

「美しすぎる容姿」と「お姉さん的な雰囲気」は世の男性達を虜にし、あべ静江さんは一気にトップ歌手の仲間入りを果たしたのです。

デビューシングル「コーヒーショップで」が大ヒットとなった、あべ静江さんの勢いは衰えることを知りません。
次々とヒット曲を連発していきました。




あべ静江 若い頃・代表曲「みずいろの手紙」のエピソードは?・他のヒット曲は?

1973年9月25日にリリースした2枚目のシングル「みずいろの手紙」も大ヒットすると、翌年の1974年には年末の風物詩「NHK紅白歌合戦」に初出場を果たしたのです。

「みずいろの手紙」は日本歌謡界を代表する作詞家の阿久悠さんと、作曲家の三木たかしさんが担当しました。

しかし、この阿久悠さんが書いた詞をあべさんは一度拒んだのです。周囲のスタッフはおろおろするばかり…。

理由は、<歌い出しの歌詞が嫌だ。>というものでした。

この曲の歌いだしは、「今でも愛しているといって下さいますか。」です。
簡単にいうと、<男性にフラれた女性が、未練がましく手紙を書いている>といった内容の曲。

当時はイケイケのあべ静江さん、元来はっきりとモノを言う性格も手伝って、「絶対歌いたくない。」とスタッフに伝えていました。

しかし、彼女はプロ中のプロ。
若いあべ静江さんでしたが、これは仕事と割り切って一生懸命に取り組みました。

ステージやテレビでは、世の男性達のリクエストに応えて未練がましい女性を演じ、「今でも愛しているといって下さいますか」と甘えた声を出し続けたのでした。

その甲斐もあって、「みずいろの手紙」は25万枚の大ヒットを記録し、1974年、NHK紅白歌合戦への切符を掴んだのです。

その後もヒット曲を飛ばし続ける、あべさん。
「突然の愛」や「秋日和」、「雨をみていた人」、「ヘイ!セニョリータ」等々…。

美しきスターの未来は、誰もが順風満帆だと思っていました。




あべ静江 若い頃・交際会見とスキャンダル!相手はギタリスト?

あべさんの活躍に影が差し込んだのは、「スキャンダル」が原因でした。

美しすぎるトップスターは、「色恋話」が絶えなかったのです。
いつの時代も他人の「色恋話」は、お茶の間のネタになります。
紅白歌手のあべ静江さんも例外ではありませんでした。

最初のスキャンダルの相手は、自身のアルバムにも参加した「ギタリスト」。
当時、あべさんは彼に夢中になり、真剣に交際していると思っていました。
その証拠に、「交際記者会見」まで開いたのです。

しかし、悲劇はそこから始まりました。
記者会見後に、「私、彼と婚約しているんだけど。」、「私も真剣に交際している。」という女性が続々と現れたのです。

マスコミも瞬時に反応し、ギタリストの彼が複数の女性と交際している写真などを流し、世間を騒がせたのでした。

これで、あべ静江さんは世間から「男に騙された可哀そうな女性」というレッテルを貼られてしまったのです。
そんなあべ静江さんに追い打ちをかけるように「スキャンダル」はまだまだ続きます。

自身に曲を提供してくれた財津和夫さんやテレビ番組の共演者などと、数多くの浮名が流れたのです。

しかし、実際は電話番号も知らない間柄だったりすることもあったのでした。

当時を振り返って、あべさんはこんなコメントを残しています。

―あべさんと言えば「恋多き女」と言われていますが?ー
「そうでもないようなあって(笑)。たまたま近くにいるからうわさになっちゃった人が多いし。」

引用:テレ朝POST

いつの時代でも、モテたり注目されたりする女性は大変なようですね!




あべ静江 若い頃・病気は脳梗塞?入院からのカムバック

歌手や恋多き女として一世を風靡したあべさんでしたが、最近は脳梗塞を患っていました。

所属事務所によると、番組収録のために自宅へ迎えに行ったところ「言葉が出にくい」や「ろれつが回らない」などの症状があったため、すぐに救急搬送されたとのことです。

検査結果は、脳の毛細血管が詰まっている状態であり「軽度の脳梗塞」でした。

入院期間は約2カ月で、さらにリハビリに1ヵ月ほど費やしたそうです。

リハビリは看護師や見舞客、スタッフ達に支えられて、寂しさはあまり感じなかったとのこと。
順調に回復に向かい、後遺症もなく無事に退院を迎えられています。

仕事の復帰は、東京・かつしかシンフォニーヒルズで行われる「青春プレイバック!日本歌手協会/輝け!歌の祭典2022」でした。

退院後とはいえ、今まで通り歌えるか不安を抱えていたようですが、そこは大スターのあべ静江さん。

見事に周囲の不安を吹っ飛ばすようなステージパフォーマンスを披露しています。




あべ静江 若い頃・現在は?今後は?

現在、あべ静江さんはYouTube【しーちゃんねる】を更新したり、東海ラジオに出演したりと大忙しです。

それもそのはず、来年はデビュー50周年です。
HPでも宣言していることから、来年は50周年を記念した催しものがあると思われます。

Twitterも頻繁に更新していることから、彼女からの発表を期待して待ちましょう。

いつまでも美しい美貌のしーちゃん。
みんなのしーちゃんは、まだまだ走り続けます!!

今回も最後までお読みいただきありがとうございました!




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