みなさんこんにちは、タムジーです。
今日は、昭和のアイドル南沙織さんをご紹介します。
「17才」で衝撃的デビューを飾り、紅白出場歌手にもなった南沙織さん。
「日本人離れした整った顔立ち」「沖縄アイドル特有の健康的な色気」
またとても可愛く、多くのファンを虜にしてきましたが、現在何をしているのでしょうか?
今回は、南沙織さんの生い立ち、結婚、息子さんの事など現在まで、詳しくご紹介していきますね。
ぜひ、最後までお付き合いくださいね!
南沙織・プロフィールと生い立ち
生年月日・1954年7月2日
出身・沖縄県嘉手納町
身長・157センチ
学歴・クライスト・ザ・キング・インターナショナル・スクール
⇒上智大学卒業
趣味・手芸、ボーリング、スポーツ
年齢・2023年2月現在、68歳
南沙織さんは、デビュー時「フィリピン人の父親と日本人の母親のハーフ」と紹介されていましたが、実際は両親ともに日本人です。
ただ、両親が離婚して、母親の再婚相手がフィリピンの人でした。ここで、多くの人が「南沙織はハーフだ。」と誤解をしていたのかもしれません。
当時は、インターネットもない時代でしたからね☆
沖縄県の嘉手納町で生まれ、4歳の時に、宜野湾市に引っ越しました。
当然ですが、宜野湾市には沖縄の米軍基地問題である「普天間飛行場」があります。
南沙織さんの家も「普天間飛行場」の近くでした。
幼いころは空を見上げれば戦闘機、通学路を歩けば軍用車や戦車が走っているのを見て育ったそうです。
南沙織・デビューのきっかけはアルバイト?
南沙織さんは、沖縄の普天間飛行場付近で幼少期を過ごしました。
芸能界入りのきっかけは、「琉球放送局でのアルバイト」でした。
具体的な仕事は、当時のテレビ番組「オキコワンワンチャンネル」や「100万人の大合戦」などで、アシスタントを務めていたのです。
その際、ゲスト出演していた男女デュオ「ヒデとロザンナ」のマネージャーさんが目を付けて、南さんの写真をCBSソニーに持ち帰ったのです。
CBSソニーでは、「スターのオーラがある!!」、「誰?アルバイト?信じられない!!」と騒然。
次世代のスターを探していた会社にとっては、まさに渡りに船でした。至急、沖縄に連絡をとり、東京へ呼び寄せることが決まったのです。
こうして、未来への扉は開いていったのです。
南沙織・デビュー曲、代表曲「17才」が大ヒット、「紅白歌合戦」出場
アルバイトから浮上のきっかけを掴んだ、沖縄のシンデレラ南沙織さん。上京したのは、沖縄が日本に返還された1971年の春。
母親と共に上京し、そのわずか3か月後にシングル曲「17才」でデビューを果たしたのです。
ちなみにキャッチフレーズは「南の島からきたシンシア」です。
洗練されたサウンドに、思春期の世界観に彩られた歌詞。
筒美京平さんが「洋楽にも負けない!!」と意気込んだ至高のメロディーとリズム。
沖縄美人が歌う「17才」は、一気に日本中に知れ渡りました。
この後、森高千里さんや桜田淳子さん、銀杏BOYSなど、多くのアーティストがカバーしたことからも、この曲の素晴らしさが伺えます。
南沙織さんの代表曲となった「17才」は、総売り上げ枚数は54万枚で、ビッグセールスに音楽関係者は驚きました。
この勢いのまま、同年末の2大イベント「日本レコード大賞」と「NHK紅白歌合戦」にも出場します。
もちろん、日本レコード大賞では華々しく「新人賞」を受賞したのでした。
南沙織・「シンシア」「新三人娘」とは?吉田拓郎との関係は?ヒット曲は?芸能界引退の理由は?
芸能界を一瞬で駆け抜けて、表舞台から姿を消した南さん。
その姿は、芸能界に咲いた美しすぎる花のようでした。
鮮烈なデビューを飾った南沙織さんは、同年の「潮風のメロディー」翌年「ともだち」と立て続けにヒット曲を飛ばします。
どれぐらい売れたかというと、
・「潮風のメロディー」/ 24.5万枚
・「ともだち」/ 21.8万枚
この数字をもって、1971年と1972年のレコード年間売上実績1位を獲得するのです。
そして、1975年8月にリリースした「人恋しくて」では、「日本レコード大賞」の歌唱賞を受賞。
他にもヒット曲は多く、「純潔」「哀愁のページ」「早春の港」「色づく街」「ひとかけらの純情」など多くの曲がヒットしています。
名実ともにトップスターの仲間入りを果たし、同期の小柳ルミ子さんや天地真理さんも含め、「新三人娘」と呼ばれたのでした。
そうなると、南沙織さんの周辺もにわかに騒がしくなってきます。
芸能界でもファンであることを公言する人たちが現れ始めたのです。
代表的なのは、吉田拓郎さんや泉谷しげるさん、岩崎宏美さん…。
言わずと知れた歌謡界のビッグネームですが、中には「サオリスト」と名乗る人まで現れたのです。
特に、吉田拓郎さんは南沙織さんの大ファンだったようで、吉田拓郎・かまやつひろしさんが2人で歌った曲「シンシア」は、南沙織さんに捧げた楽曲でした。
また「シンシア」とは、南沙織さんの愛称のことです。
ラジオを通して交友を深め、南沙織さんも慕っていたようで、吉田拓郎さんの自宅へ遊びに行くこともあったようです。
ところが、突如として1978年に引退を宣言します。
引退の理由は諸説ありますが、「事務所との折り合いの悪さ」だったようです。
「学校に行きたい。」「休みがほしい。」など、幾度となく事務所に希望を伝えていたようですが、全く叶わなかったようです。
その後、事務所を移籍しますが、そこでも「休日」や「自身の売り出し方」で折り合いがつかず、とうとう引退に至ります。
多くのファンは悲しみにくれましたが、南沙織さんは最後までブレることなく引退を決めたのでした、僅か、7年間の輝きでした。
南沙織・篠山紀信と結婚、夫との馴れ初めは?息子は離婚?
芸能界を懸命に走り抜け、美しいまま表舞台から去った南沙織さんは、翌年の1979年に篠山紀信(しのやま きしん)さんと結婚します。
当時、南沙織さんは24歳、篠山紀信さんは38歳の14歳差の結婚でした。
2人の馴れ初めは、1972年のレコードジャケットの写真撮影が出会いのきっかけでした。
それ以降、篠山紀信さんがほとんどのジャケット写真を担当しており、南沙織さんの引退をきっかけに交際がスタートします。
2人の交際は順調に進み1979年6月4日、東京の教会で結婚式が行われたのです。
この教会での結婚式は南沙織さんの夢だったようで、「式をあげるなら、絶対にここ!!」と強い要望があったのです。
念願が叶った挙式。とても嬉しかったでしょうね。
また子供は男子3人、長男、三男は、大手企業に就職されたようですね。次男の篠山輝信さんは俳優として活動されています。
母親のDNAを受け継いでいるのか、キリっとしたイケメン俳優ですね。
篠山輝信さんは「あさイチ」NHK総合でリポーターを務め、共演したNHKアナウンサーの雨宮萌果さんと2019年1月11日に結婚。
しかしながら2022年6月4日「雨宮萌果オフィシャルブログ」にて篠山輝信さんとの離婚が発表されました。
実は私、少し前に独身に戻りました。
篠山輝信さんと過ごした時間はとても楽しく有意義な時間でしたが話し合いの末、お互いの人生を尊重しそれぞれの道を歩むことにいたしました。引用:雨宮萌果オフィシャルブログ
今後のご活躍を期待したいと思います。
南沙織・50周年記念は?現在は?
2011年1月17日、東京新聞の朝刊では「この人-南沙織さん」の記事と当時56歳の写真が掲載されています。
デビュー40年を機に、歌手復帰について質問されると「もう声が出ませんよ」と話されていました。
現在、南沙織さんは芸能界引退後、ほぼ第一線からは身を引いていますが、2020年には歌手活動50周年を記念して「CYNTHIA ALIVE 南沙織 CD6枚組+歌詞ブック」を発売しています。
今後も〇〇周年の度に、何かしらのアクションは起こしてくる可能性はあると思いますので、ファンのみなさんは期待して待っていましょう。
現在家庭を築き、幸せな生活を送っているであろう、南沙織さん。
いつまでも、あの笑顔と可愛いままのスーパーアイドルでいて欲しいですね。
そして、いつか歌手や女優業を頑張っている姿を見られたら…。
みんなのシンシア、待っています。
いつまでも応援しています!
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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