みなさん、こんにちはタムジーです。
今回は、昭和の終わりにデビューを果たし、平成で大人気となった元・Wink(ウインク)の相田翔子さんを紹介します。
相田さんといえば、鈴木早智子さんとの息の合った歌やダンス、お揃いの衣装が有名ですよね。さらに、当時は「笑わないアイドル」として売り出したため、「可愛さ」と「クールさ」のギャップがあったのも大人気の理由でした。
そんな大人気で可愛かった、相田翔子さんの出身地や生い立ち、デビューのきっかけ、結婚、旦那さんの事、レコード大賞や紅白出場などご紹介していきます。ぜひ、最後までお付き合いくださいね。
相田翔子 若い頃 生い立ち、家族構成は?
それではプロフィールからご紹介します。
名前:相田翔子
生年月日:1970年2月23日
身長:160㎝
血液型:B型
出身地:東京都東村山市
学歴:文華女子高等学校卒
所属:アップルフロントクリエイト
年齢:2023年9月現在53歳
出身は東京都東村山市で家族構成は、父・母・本人・姉の4人家族になります。東村山市は、自然が豊かな場所ですね。
相田さんも活発な女の子だったそうで、男友達とターザンごっこやプロレスごっこなどをしていたそうです。
ときには、肥溜めに落ちる事故?にもあったとか。古き良き、田舎の風土で育ったようです。歌の好きな相田翔子さんは、姉と良くピンクレディーの歌を物まねしたそうですよ。
家族は仲が良く、両親は自営業をしていました。一般人であるため、詳しい仕事内容は明かされていませんでした。
大まかに「リフォーム関係」の仕事をしており、ただ事業が上手くいかない時期もあった様子で、家族4人で「あんまん」を4等分にして食べたこともあったそう。
それほど、相田さんが子供の頃は、家計が苦しい時もあったのですね。
相田翔子 若い頃 プロレスラーを目指していた?モデルで芸能界デビュー!
相田翔子さんは、元気に育ち、地元の東村山第六中学校に進みます。そして、小さい頃から男友達とプロレスごっこをしていた相田さん。全国の「プロレスブーム」も相まって、どんどんとプロレスにのめり込みます。
それは、厳しいトレーニングを自分に課して、「入団テスト」を受けるほどでした。
当時、相田さんが憧れたプロレスラーは、長与千種さんとライオネス飛鳥さんのタッグチーム「クラッシュギャルズ」でした。
当時、クラッシュギャルズは、アイドル的な人気を博しており、ヒール役のダンプ・松本さんと全日本女子の人気を二分していたのです。
当然、相田さんが受けたオーディションは、全日本女子ですが、何度テストを受けても届くのは不合格通知ばかり。徐々に、プロレスラーへの夢は消えていくのでした。
「転機」「プロレスラーにはなれないのかな…。」
そう思っていた相田さんでしたが、中学2年生のときに転機が訪れます。
クラスの友達が芸能事務所のオーディションに応募し、「一緒に行こう」と誘われたのです。当時は、松田聖子さんや中森明菜さん、チェッカーズなどのアイドルブームが全盛期でした。
その煽りを受け、各芸能事務所は歌や映画、CMなどのオーディションを一年中行っていたのです。相田さんも、「一度くらいは受けてもいいかな。」と、軽い気持ちでオーディションを受けたのでした。
オーディションでは、松任谷由実さんの「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」を熱唱。残念ながら不合格でしたが、スタイルの良さと美貌が目にとまり、モデルとして合格したのでした。
こうして、相田さんの芸能生活は第一歩を踏み出したのです。
相田翔子 若い頃 Wink(ウインク)誕生、同期デビューは誰?紅白出場!
中学2年で芸能事務所に所属したものの、仕事はほとんどありませんでした。高校に進学しても状況は変わらないので、相田さんはアルバイトに精をだすことになります。
冷凍食品の箱詰め作業やハンバーガーショップ、コーヒー屋さん等々…。真面目な相田さんは働き者で、どの会社でも喜ばれたそうです。
一度、コーヒー屋さんで働いている時に「レコードデビュー」の話がありましたが、高校の校則で「芸能活動禁止」だったため、話が流れたそうです。相田さんが大きなチャンスを掴むのは、高校卒業後でした。
Wink(ウインク)誕生のきっかけは、雑誌「UP TO BOY」のミスコンテストで、鈴木早智子さんと相田さんが優勝したことでした。見事優勝して、男性誌のグラビアを飾った2人が組んだのが、「Wink」だったのです。
Winkのデビューは、1988年4月27日です。曲は、「Sugar Baby Love」で、イギリスの「ザ・ルベッツ」のカバー曲でした。
この曲は、当時のテレビのドラマ「熱っぽいの」主題歌に起用されましたが、売り上げは伸びませんでした。
続くセカンドシング「アマリリス」も、オリコン30位/1.4万枚と鳴かず飛ばず…。それもそのはず、当時のWinkのイベントは空席が目立ち、集客にすごく苦労していたそうです。
同期デビューの、西田ひかる、本田理沙、高岡早紀、田中律子さんなどに比べると、Winkは出遅れた感がありました。しかし、突然風向きは変わります。
1988年11月16日に発売した、3枚目のシングル「愛が止まらない~TURN IT INTO LOVE~」が大ヒットしたのです。
この曲は、ドラマ「追いかけたいの」主題歌で起用されました。
ゆっくりとチャートを駆け上がっていき、昭和と平成を跨いだところで、月間チャート1位を獲得。売り上げも63万枚のビッグヒットとなり、世間に一気に注目されたのです。以降も5曲連続の1位を獲得していますね。
特に、1989年発売の「淋しい熱帯魚」は60万枚超えの大ヒットを記録し、「日本レコード大賞受賞」、「紅白歌合戦初出場」などの大活躍をみせたのでした。こうして、Winkはピンクレディー以来の奇跡の2人組となったのです。
相田翔子 若い頃 Wink(ウインク)活動休止、バラエティー番組へ?
Winkの活動期間は、1988年~1996年の僅か8年でした。
解散の理由は、「人気の低迷」と言われていますが、定かではありません。
というのも、事務所からは「Winkは、96年の3月31日で活動を休止する。」という発表があっただけなのです。
突然のWinkの活動休止は、多くのファンに強い衝撃を与えました。
~新たな才能~バラエティー番組に進出~
Winkが解散となった相田さんですが、その後は「バラエティー番組」に活路を見出していきます。
1998年/「世界ウルルン滞在記」レギュラーMC
2000年/「踊る!さんま御殿!!」で大人気
2001年/「笑っていいとも!」の月曜レギュラー
2005年/「メレンゲの気持ち」レギュラーMC
2007年/「いいはなシーサー」レギュラーMC
この他にも、女優として、「花とアリス」や「七色のおばんざい」などのドラマや映画にも出演し、Wink時代とは違う才能を発揮し、人気を伸ばしていったのです。
相田翔子 若い頃 結婚、旦那は医師、子供は?
さて、Winkの活動休止後も、バラエティーやドラマで人気を伸ばした相田さんですが、結婚はしているのでしょうか?気になりますよね。
答えは、「結婚している」です。
相田さんは、2008年に相澤宏光さん(職業:医者)とめでたくゴールインしています。その後は、子宝にも恵まれ、現在も仲良く家族で暮らしています。
当時のWinkは、ものすごい人気で、社会現象にまでなりました。
「翔子派」か「さっちん派」か!?
男子の間では、論争が巻き起こり、「俺は翔子!!」「どう考えても、さっちんだろ!?」と言い争いが起きていたほどです。
今現在も、変わらずかわいい相田翔子さん。
先日は、乃木坂46のメンバーと並んでも遜色ないと話題になっていましたね。
この続きの記事は、相田さんの「結婚と子ども」「現在の仕事」などに焦点を当てて紹介したいと思います。
Winkの記事は、下記リンクからお入りくださいませ。
Wink(ウインク):若い頃がかわいい、どっちが人気?デビューのきっかけ、ヒット曲は?レコード大賞出場・引退は?デビュー30周年の復活は?
相田翔子さんの現在は、下記リンクからお入り下さいませ。
本日も、最後までお読み頂きありがとうございました。
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