立花理佐 現在 直腸がん克服、結婚、旦那、子供は? 若い頃「疑問」が大ヒット!父、母、同期は誰?

女性歌手

こんにちは、タムジーです。

今回は、立花理佐さんを紹介したいと思います。

立花理佐さんといえば、
「80年代のスーパーアイドル!本当にかわいかったよね。」
「同期デビューの酒井法子さん(のりピー)よりも理佐ちゃんの方が好きだった!」と言う方も多かったですね。立花さんは、まるで彗星のごとく現れた、かわいいリアル天使でした!

この記事では、デビューのきっかけ、現在は何をしているの?など、幼少期、若い頃から現在まで徹底解説します!
ぜひ、最後までお付き合いくださいね。




立花理佐 年齢は?生い立ち、父、母、幼少期は?

それではプロフィールからご紹介します。

プロフィール:
名前:立花理佐(たちばなりさ)
本名:松永理佐(旧姓・橘 理佐)
生年月日:1971年10月19日
身長:160cm
血液型:A型
出身地:大阪府大阪市西成区出身
学歴:明治大学付属中野高等学校 定時制中退
年齢:2024年1月現在52歳
所属:株式会社グッデイ

立花理佐さんは、大阪府生まれの、52歳です。

立花さんのお父さんは、とても優しい方で、子どもの頃は怒られたことがないそうです。立花さんの友達とも仲が良かったそうなので、おそらく自慢のお父さんだったのでしょうね。

立花さんが結婚し、孫を連れ帰ったときも、とにかく可愛がってくれたそうですよ。

一方、お母さんは、踊りの先生をしていました。踊りの先生らしく、躾や礼儀、礼節に厳しかったようです。

大人になってからも、両親と立花さんは仲が良かったのですが、
現在は両親ともに病気のため他界しています。

2015年、お父さんの葬儀には、立花さんの友達がたくさん駆けつけています。立花さんも感慨深いものがあり、お父さんの葬儀を次のように振り返っています。

「葬儀には闘病を支えてくれた友人をはじめ、私の同級生がたくさん来てくれました。昔から私の友達にも優しかったので、改めてみんなから好かれていたんだなと実感しましたね。」

引用:yahooニュース

立花さんは、素敵な両親の元ですくすくと育ったのですね!


立花理佐 デビューのきっかけは?

立花理佐さんは、小さい頃から芸能人になる夢を抱えていました。あれだけの美貌ですから、周囲から勧められたり、可愛がられたりしたのでしょう。

立花さんは、タレント養成所「ジャパン・アーチスト・オフィス」に入所しています。若い頃から思い切った決断ですよね。

養成所では、レッスンの日々が続きます。そんな立花さんに、ある日、1つのチャレンジが訪れます。

1986年、第1回「ロッテCMアイドルは君だ!」のオーディションがあり、それに応募したのです。倍率は高く、経験のない新人が合格するとはだれも思っていませんでした。

ところが結果は、本選進出メンバー20名に選ばれ、1986年8月17日、スタジオアルタで行われた決勝大会で、見事グランプリを獲得!当時まだ14歳の少女でした。当時、本選進出メンバーの中には、鈴木早智子さん(元・Wink)も選ばれていました。

そして、ロッテのCMを獲得したことにより、立花さんの知名度は上がっていきます。最初のCMは1987年「ビッグコーン」と言うアイスのCMでしたね。そして、にわかに立花さんの周辺は慌ただしくなっていくのです。

レコード会社を<東芝EMI>事務所を新たに<ビックワン>と契約をし、本格的な歌手と女優のデビューに向かっていくのでした。


立花理佐 女優、アイドル歌手デビュー!同期は誰?

立花さんのデビューは、1987年の事、
TBSの人気テレビドラマ「毎度おさわがせしますIII」にて、内海はるか役として女優デビューしました。

しかし、当初はドラマの内容が少しお色気系なので、出演を嫌がっていたそうです。それでも、このドラマからトップアイドルになった中山美穂さんの様になりたいと言う気持ちと、周囲の説得もあり体を張った結果、人気は急上昇。

「あの可愛い子は誰?」
「セクシーでいいよね。要チェックだ!」
「ロッテのCMの子? すごいじゃん。」

などと、多くの男性のファンを虜にしました。

さらにノミネート4月1日には、シングル「疑問」でアイドル歌手としてもデビュー。「私、不良ですか? 早熟ですか?」などと、ドキッとするような歌詞が世間の注目を集めました。

そして、順調にセールスを伸ばし、この年の新人賞を総なめにしたのです。年末の「第29回日本レコード大賞」では、同期のアイドルを抑え最優秀新人賞にも選出されました。

ちなみにこの年、新人賞にノミネートされていたのは、酒井法子、坂本冬美、BaBe、畠田理恵さんでした。

他にも1987年デビューは、後藤久美子、森高千里、ゆうゆ、石田ひかり、伊藤美紀、大西結花、仁藤優子さん。

男性陣は、高橋良明、仲村トオルさん。

グループでは、うしろ髪ひかれ隊、風間三姉妹、ローラースケートを履いた光GENJIがデビューしました。

名前を見るとほんと懐かしいですね。この1987年は粒ぞろいの年とされ評判も良かった様です。


立花理佐 ヒット曲、映画出演は?金銭トラブルに?

日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞した、立花さんの人気は留まることをしりません。

翌年の1988年には、シングル「刹那主義」をリリースすると見事、オリコンチャートベスト10入りを果たしています。

さらに、同年に発売されたシングル「リサの妖精伝説-FAIRY TALE-」は、ゲームソフトとも連携して発売され、なんと立花さんがゲーム中のヒロインとしても登場したのです。

映画「ビーバップハイスクール」にも出演し、当時の不良少年たちを虜にしていました。もはや、10代の少年少女のアイドルではなく、国民的アイドルとして認知され始めていたのです。

しかし、順風満帆の旅には嵐がつきもの。好調の立花さんは、所属事務所とレコード会社の金銭的トラブルに巻き込まれてしまいます。

結果、しばらく歌手活動をはじめ女優活動すらもできなくなってしまったのでした。


立花理佐 芸能界復帰、結婚、子供は?

芸能活動ができなくなった翌年の1989年、立花さんは、所属事務所を移籍します。移籍したものの、大手メディアには出演できず、再びファンの前に姿を現したのは1993年でした。

移籍第一段シングル「最後のシャワーに花束を」を発売したのです。しかし、1993年は、BZやCHAGE&ASKA、ZARD、WANDSがヒットチャートを独占。立花さんのシングルは売り上げが伸びず、2枚目のリリースには繋がりませんでした。

結果、一度歌手活動を休止し、女優としての活動に専念することになったのです。

この後は、時代劇に活路を見出し、名作「名奉行 遠山の金さん」や「暴れん坊将軍」などに出演し、人気を取り戻していきます。

さらに、2001年7月3日には、モーニング娘の生みの親「つんく」にオファーされ、12枚目のシングル「ゴメンね 勝手に決めちゃって」を歌手として、8年ぶりにシングルをリリースしたのでした。

徐々に人気の回復に成功していった、立花さん。この頃は、プライベートでも嬉しいことがありました。

2000年に、飲食店経営の元モデルの男性と結婚したのです。さらに、2004年には第一子となる男児を出産されました。

まさに、幸せの絶頂だったのです。


立花理佐 直腸ガンからの復帰、現在と未来は?

人気を取り戻して結婚もした、立花さん。しかし、そんな立花さんをまたしても悲劇が襲います。

2020年。医師から直腸ガンと診断されたのです。入院を余儀なくされ、腸や子宮、卵巣、膣の摘出手術を受けました。幸い、退院後は再発も無く順調に回復しているようです。退院後、立花さんは、こんなコメントをしています。

「病状がだいぶ良くなったので、みなさんに報告しようと思いました。私のガンを知って、「初期の癌だったという友人が何人かいた」とし、「1人でも多くの人に早くに検査してよかったと思って頂けたらと思います」と呼びかけた。

引用:ORICON NEWS

現在は、病状も落ち着き、2023年12月にはラジオで仕事に復帰しています。共演した酒井法子さんや西村知美さんとは、「歌のイベントをやれたらいいね。」と話していました。

少しずつ、メディアへの露出が多くなっていくことをファンは期待しています。特に、80年代アイドルたちで、ぜひ共演してもらいたいものですよね。

直腸ガンという大病を克服した、立花さん。まだまだ輝き続けて欲しいと思います。いつまでも、笑顔を絶やさずに。ご活躍、期待しています!

本日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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